十人十色のコインケース作り

12月20日の土曜日、私たち「下尾先生とゆかいな生徒たち+α」は大府市にある革細工のできるお店「風炎」(フェーン)へ行ってきました。

あいにくの雨だったのですが、大府駅に集合して傘を差しながら歩いてお店まで行きました。十人十色の傘たちの行列でした。

「風炎」は、ややこぢんまりしたお店でした。入って左手には作られた革細工たちが並び、右手には作業台が並んでいました。 革細工たちの中に、今回作るコインケースを発見!!下尾先生も興味津々、「俺はSDカードを入れて使おう」と宣言されていました。

そうこうしているうちに作業準備が終わり、いざ制作となりました。 +αの料金がかかったのですが、何人かは好きなコンチョ(飾りボタン)を選んでアクセントにしたり、金具をつけてキーホルダーにしたりしていました。

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美人な店員さんに手取り足取り教えてもらいながら、床処理(革の裏面をコーティングする作業)、コバ処理(革の木口面を仕上げる作業)の後、穴を空けボタンとコンチョ、キーホルダーのための金具を付けてできあがり・・・のはずだったのですが、なんとイニシャルや模様を打つことになりました。(打刻によるエンボス)

私は花とクローバーとコンチョに合わせたクルクル模様です。(中央のブルー部)
ちょっとずれたのはご愛嬌。

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最後に記念の集合写真を撮って講座は修了です。
準備にお金も時間もかかる革細工の経験は、私たちの財産になりました。 私たちPD1年生にとっては今回が下尾先生の年内最後の授業でした。
それでは先生、よいお年を!!

プロダクトデザイン 1年生 高木真希

 

日本人という価値

この9月、私にとって初めての講義クラスがスタートして4ヶ月。
次回、最終回はレポート作成に当てますので、スライドを使用する講義は今回が最後です。

プロダクトデザイン論は、中国からの留学生にも聴講して頂いていますが、最終回は、私たちが発信する「ものづくり」の根底にある「日本」について考えてみたいと思います。

先週の授業では、ユーザーの多様性という視点から、溢れる情報の中で「『らしさ』の減少」というワードを使いました。
今回は…それでも尚、私たちが発信したりモノを評価する場面では、無意識に「日本人DNA」というフィルターが作用しているのでは…という話。

今の「日本らしさ」を代表するアニメや漫画が重要な輸出産業になっていることは知られていますが、60年代からのロボット世代は言うに及ばず、江戸末期の浮世絵にも新しい表現手法が取り入れられ、現代の漫画のルーツとも言える展開を見ることができます。

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また、海外で暮らした経験のある人なら、多かれ少なかれ、カルチャー・ショックという形で、日本の良いところ、悪いところ…是非を超えて「日本と海外の差異」を感じたことがあると思います。

そしてそれらを良いと感じるか、抵抗感を受けるかは、私たちが育ってきた日本の風土・文化とは決して切り離すことができない…脈々と流れる血の様な感覚によるものだと感じます。

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逆に言うと、敢えて「日本」を意識しなくても、私たちがアウトプットする作品には、自然と日本人らしさが息づいているのかも知れません。

昔、アメリカの言語学の本を読んだ際、印象に残ったフレーズがあります。
「アメリカ人は、世代が新しくなるほど、純粋なアメリカ人になっていく」というものです。

著者の言語学者によると、アメリカ人というのは、移民してきたファーストジェネレーションは、いわばヨーロッパやアフリカ、アジアなどから新しい何かを求めて自国を捨て、或は自国を追われて来た外国人集団に過ぎず、世代を下るに連れ次第に本当のアメリカ人になっていく。 つまり子供の方が親よりも、よりアメリカ人だと言うのです。
新しい世代に入れ替わっていくことこそが、より一層アメリカになっていくこと‥新しいモノに変わっていくことに価値が見出され、他人と違うことを尊び、主張をぶつけ合うことで理解を深める国民性。

日本人の私には非常にカルチャーショックでした。 何故なら私達は他に逃げ場の無い島国で長い歴史を持ち過去の遺産と伝統を守ることを尊び、世代が新しくなるほどに純粋な日本人では無くなっていくとさえ考えるからです。
4000年の歴史と言われる中国も次々に王朝が交代した歴史であり、万世一系で1500年もの間存続している国は日本以外には無く、島国という閉鎖的な環境と相まって、独特な文化・風習・価値観が根付いたことは想像に難くありません。
守り続けることに価値を見出し、皆と同じであることに安堵し、言わずもがなで相互理解することを得意とする国民性。

四季を愛で、自然に畏敬の念を持ち、全てのものに魂や慈しみを感じ、共存することに知恵を使い、細かい気遣いや気配りが得意…   相手の立場に立ってものを考えるデザイナーには、とても向いた国民性を持っている様に思えます。

でも一方では、自己主張が苦手で、突飛なことに抵抗感を持ちやすい気質は、デザイナーには不向きな一面かも知れませんね。

私がアメリカで留学生として暮らしていたのは、もう25年近く前のことになりますが、他の学生達が小さい頃からディベート能力を鍛えられ、どんなアウトプットでも自信満々に主張する姿には圧倒されつつも感心したのもでした。
日本人にはメンタリティ的に抵抗がある様な場面でも、厚かましくも逞しく生きている彼らの精神的な自立性は見習うべきと感じました。

私達がこの国:日本に暮らすことで培っている価値観は、世界に通用するクリエィティブな活動に息づいています。 悩み、迷うこと多き毎日ですが、将来、海外も舞台に活動を夢見る方々には、日本人らしい優しさと、日本人が苦手な図太く逞しい自己主張とのバランス感覚が求められているのかも知れませんね。

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授業の最後には、人生80年を1日(24時間)の尺に当てはめたスケールを皆さんと共有しました。

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20歳前後の皆さんは、1/4日が過ぎたところ…朝の6時頃です。 まだ皆さんは御自身の才能を眠らせている時間…少し早起きな人は目覚め始めている時間ですね。 天気が良ければ(元気に一生懸命生きて行けば)、素晴らしい1日が待っているはずです。

そして、50を過ぎた私でさえ、まだ午後3時、(頑張れば)きっと美しい夕焼けを見ることが出来るはずですね。

プロダクトデザイン 金澤

笑って覚えるが勝ち(価値)!( ´▽`)

目指すは、「笑って覚える知的財産法!」

秩序ある法治国家へのなんという暴言…

(((((だから、公には言えません(^^;))))))

 

でも、

 

お堅いことを覚える =(equal:イコール)眉間にシワ寄せて姿勢を正してお堅く覚える。

では、ないと思うんです。

 

良薬、口に苦し。

孔子の言葉ですが、(逆らうつもりはありませんが)

美味しいのに超したことはない!

 

 

そう言えば、、、

 

小学校の頃、私の”たわい無い”発言が、先生を困らせたようです。

その後、職員室に呼ばれて、、、

怒られるとビクビクでしたが、注意どころか褒められました(´。`;)

 

地球は太陽を中心に左回り?

地球はクルクル回ってる?

北極が上で南極が下?

 

当然な事として浸透し内在化されてる既成概念という厄介なウィルス。

そういう常識というか不文律に対する礼儀が全く備わっていなかった幼少の私。

 

無重力の宇宙空間に上とか下とかあんの?

地球の上って北って決まってんの?

宇宙空間で自分が逆さまになったら、南極が上じゃんか…

地球って、クルクル回ってんじゃ無くて、(計算したらわかったけど)

全然回ってなくて、ずるずる滑ってる感じじゃん…

こういう事を理科の授業中に騒いでた面倒くさいガキだったようです、下尾くん。(^^;)

とにかく、頭ごなしで来られるものには、反発してました。(なまいきリスト常連)

 

だから(なのでしょうか?)、法律は難しいという常識に喧嘩を売ってます。

絶対勝てっこない喧嘩です。

 

(既にフルボッコ状態です)

 

知的財産法という面倒臭い法律を、食べやすくして(できない)、美味しくして(ムリ)、

どーにかしてでも学生達に覚えて欲しい。

 

お堅い内容だからと言って、正座して覚えることはないよ。

笑いながら、食べてね。

 

例えば、

鹿草豹

草陰から鹿を狙う豹の絵を描いた「鹿草豹」という絵

(著作物の定義を美味しく食べる方法)

 

 

武家も行け美観地区倉敷にある美観地区を歩いてる武士の絵を描いて、

デザインを学びたければ、武家[刀も魂の一部]も行け美観地区!という提言

(意匠の定義を美味しく食べる方法)

 

尻偽装

はくだけでスタイル抜群になる夢のようなシェイプアップパンツの広告の絵を描いて、「尻偽装でヒップアップ」という教育の場にそぐわない発明のキャッチコピー

(発明の定義を美味しく食べる方法)

 

特許出願パック

5歳の子供に「出願」というパネルを見せて、「なんと読むかな?」と聞いてる絵を描いて、

「願の字を、ガンとは読めず、五つの子」と言う俳句

(特許出願に必要な書類を美味しく食べる方法)

(最後のやつは、もともと5歳の子に「出(しゅつ)」さえ読めないだろ…というツッコミをレポートに必ず書かれますw)

 

全部の種明かしはしませんが、これらを金澤先生は「下尾メソッド」とお呼びくださいましたが、誠に恐縮です。

でもこれらは、面倒くさい法言語を学生の脳皮にガッチリ食い込ませたいが故の私の脳みそから出た汗が混じった味付け(マズイ)なんです。これで、少しはゴーヤも食べやすくなっているのではと期待します。

 

来年の、決戦の日(3月8日)を控えて、

(ボランティアで、(>_<。) )

知財検定受験対策の特講をやろうと思います。

また広報しますので、参加してね!

 

おいでませ、C305へ。(場所は未定です(^^;))

 

 

プロダクトデザインコース代表 下尾邦之

 

 

 

 

デザインは再び川上発想に…

今回は、前回のマーケティングの流れから、ユーザーとなる顧客(市場)の変化についての考察です。

企業在籍時に商品企画部門の担当者と協議する際、どうも話しが噛み合わない、目指す方向が共有できない場面に、しばしば出くわします。
何が起こっていたのかを冷静に考えてみると、ターゲットになるユーザーの捉え方が異なるケースが時々あることに気が付きます。

4つのターゲット

営業の現場は、競合して負けた他社の商品の利点を並べ、自社のモデルに足らない商品力の補填を以て「次期モデル」の姿として、企画部門に情報をもたらします。【今の理想】
企画部門はそれを踏まえ、3〜5年後(車の場合)の未来を想定し、予想も含めその時点でのあるべき姿を企画としてまとめます。【未来の現実】
しかし実際は、「未来のある時点の現実」に於いて、競合が同じ歩幅で進んで行けば、同じ様に競合することは必至です。 更に一歩先んじる為に、未来の現実を想定した上での「理想」を求める視点が必要になります。【未来の理想】
私がいた車の世界では、一般的なプロダクトに比べ開発期間が長いこともあり、その間に想定される理想の範囲が広く、何処に着地点(特徴)を見出すかにより商品像をよりクリアに出来る可能性もあります。

デザイナーは往々にして【未来の理想】を目指す傾向があるのではないでしょうか?
それはデザイナーが、普段から「ビジュアルとして未来を描く」ことに慣れているからではないかと考えています。
機能や性能といったスペックの動向は、ある程度の業界相場や市場相場があるのに対し、人の気持ちを左右するビジュアルの価値は、仮説や想定によって表現の幅が無限に広がっていくからです。

【今の理想】【未来の現実】【未来の理想】「営業の現場」「企画の定番」「デザイナーの志向」と読み替えると、それぞれが何を出発点にしているかで、開発の規模感や売り方など、様々な場面で噛み合わない議論が出てくるのは当然とも言えます。

更にマーケットを複雑にしているのは、顧客個々の多様性です。
今やデモグラフィー(人口統計学)で、市場を切り分けることが、難しい時代です。
例えば…「20代独身男性」といったところで、昔の様なステレオタイプな人間像は浮かび上がって来ないのではないでしょうか?

音楽

また…人は複雑化する価値観や多様化する考え方の中で上手く人間関係を維持していく為に、1人で何人もの人格を演じ分けたり、憧れと現実のギャップを埋めて理想的なイメージを実現する為に商品を見つめているのではないでしょうか?

裏表ターゲット

戦後モノの無い時代に始まった「川上発想」(モノを作れば売れた時代)から「川下発想」(マーケティングが主流になり「顕在ニーズ」を具現化する時代)を経て、「川底発想」(マーケティングミックスにより「潜在ニーズ」を掘り起こす時代)に暮らす現在、各メーカーが「理想と掲げるビジョン」を問い、老若男女問わず共感してくれる人がターゲットとなる「この指止まれ – 時代」になっているとするならば、デザインは再び「(高度な)川上発想」に戻るべきなのかも知れません。

ものづくりの現場は、「デモグラ発想」から、より共感を呼ぶ「ビジョンの提示」の時代に入っているのです。
学生の皆さん、溢れる情報の中「ものづくり」は、これから益々「何でもあり」の時代になります。 益々しっかりした自分の考え方が問われる時代ですね。

プロダクトデザイン 金澤

知財のもうひとつの側面…共存共栄

「日本では、デザイナーの地位は低い」…これは…私が30年間、車のデザインに従事し感じてきた率直な印象。 ガンディーニやジュージアーロにデシルヴァ…数え上げればキリが無いビッグネーム達…日本人のケン・奥山氏、和田智氏、古くは児玉英雄氏も海外で名を馳せました。 取り分けインハウス(企業のデザイン部門などに籍を置くサラリーマン)デザイナーの社内での立ち位置は、これほど「デザインが大事」と解った様な声を聞く昨今でさえ、決して高くありません…

12月の声を聞き、本格的な寒さも到来した12月2日(月)、「ものづくりの法律」の授業では、招聘講師を招いての授業となりました。

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御登壇頂いたのは、前期の6月16日にも講義して頂き、女子大生のハートを鷲掴みにしていったコポキャラ株式会社(http://copoc.jp/)の代表:藤原聖仁さんです。(前期で単位が取れても、後期も藤原先生が来られるなら授業に潜り込みます…という学生が何人もいたのです…本当の話。)

「守・破・離」に始まり、知財の知識に留まらず、デザイナーとしての在り方までをリアルなエピソードを交え分かりやすく話して下さる藤原節は、何度聴いても面白く引き込まれます…前回の内容からもバージョンアップされていて、飽きさせない話しの流れが凄い!

(詳しくは前回時のブログ、https://www.nzu.ac.jp/blog/product/archives/date/2014/06 を御参照下さい)

核となる話しの内容は上記の前回ブログに任せて、今回は、少し異なる視点から藤原先生の言葉を見てみたいと思います。

企業にいた時代も含め、私がイメージとして捉えていた知財戦略は、大きくは2つ。
・1つ目は、自分の権利を守ることで他からの盗用を防ぐディフェンス作用。
・2つ目は、権利侵害している可能性がある競合を相手取り利益に繋げるオフェンス作用。
この2つは解り易い。
今回、目からウロコだったのは、サラッと紹介されたデザイナーのプレゼンスについての話。

…当日、御同行頂いたコポキャラさんのスタッフのお1人:謎のイラストレーター「かずはりんぬ氏」です。 藤原先生によると、彼女はコポキャラ社の社員でありながら、個人的にもイラストレーター、タレント、ブロガー、TVレポーターなどとして幅広く活動しているとのこと。(http://kazuharinnu.com 参照…御本人も作品に負けず、ユニークで魅力的なキャラクターです。)

cardつまり、彼女は「インハウスデザイナー」でありながら「フリーランスデザイナー」でもあるのです。 「インハウスデザイナー」の場合、その仕事の成果物は職務著作となり、会社の名前で公表されることになりますが、藤原先生のアイデアが進歩的な点は、まだ若いタレント(才能)を育てていく為に上記の様な変則的な契約を結んでいる点です。

「インハウスデザイナー」であるメリットは、ある一定の収入が安定することで、安心して創作活動に傾注出来ること。
「フリーランス」のメリットは実名で勝負しながらプレゼンスを上げ、会社の方針に縛られない個性を伸ばせること。
そして、個人の作家としてのプレゼンスが上がれば、所属会社であるコポキャラの利益にも繋がること。

前回のブログで私は、藤原先生のメッセージは、知財を通して見る「デザイナーの自律」だと書きました。
これはデザイナー自身が己を律する「自律」ですが、藤原先生は「若い才能の自立」を身を以てサポートしているのです。
雇用形態を説明する際の「社員のままだと個人名は出ないので…」という藤原先生の言葉の端に、後進育成に対する強い意志と、デザイナーのプレゼンスを上げる為の柔軟な取り組みを見ることが出来ます。

この一見ファジーな関係をバックアップする為に、しっかりした知財についての知識と経験が必要なことは言うまでもありません。
つまり、知財の知識が「オフェンス(offense)」でも「ディフェンス(defense)」でも無い…新しい「コイグジスト(co−exist:共存)」の形に結晶している点です。

知財に於ける共存共栄は、差し詰め「使用権の設定」や「ライセンス契約」などが連想されますが、自由な新しい働き方を定義する為にも、知的財産の知識が有用であることを実践し、証明しているのです。
大袈裟ですが、こういった新しい働き方の浸透が、冒頭の「デザイナーの地位」を高めていくヒントなのかも知れません。

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創作的な仕事を目指す私達が、近い将来、理解ある経営者の下、新しい雇用形態の中で腕を振るうことが出来る時代が…既に幕開けていることに、大きな期待感を感じます。

そして…

謎のイラストレーター”かずはりんぬ”の正体とは…

つづく(…のかな?)

 

左から、スタッフの馬淵さん、藤原代表、かずはりんぬサン、わたくし金澤、下尾先生

 

プロダクトデザイン 金澤

海を見よ

私にとって初めての講義クラスが始まって、今回で12回目。
残すところ3回、大切に1コマ、1コマ進めて行きたいと思います。

今回は、マーケティングとブランドについての予定で資料を作ったのですが、いつもの前回レポートの紹介から派生して、最近読んだ本を1冊、御紹介しました。

立教新座中学・高等学校校長の渡辺憲司著の「時に海を見よ」という本です。
一時、ネットでも話題になりましたので御存知の方も多いかも知れません。
3.11で卒業式が出来なくなってしまった立教新座高校の卒業生に贈られたメッセージを中心に、体験から得た御自身の考えを綴られた本です。

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以下に、一部を引用させて頂きます。
・・・・・
誤解を恐れずに、あえて、抽象的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

〜中略〜

中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠勤は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

大学を出て、就職したとしても、その構図は変わらない。無断欠勤など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は愛する人の時間を管理する。

大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

「今日ひとりで海を見てきたよ。」

そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学の友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

〜中略〜

時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
・・・・・

この後にも力強いメッセージが続きます。 そして改めて「大学に行くことの意味」を考えさせてくれるメッセージだと思います。
「自由」という厳しい自己責任の海に漕ぎ出すのが大学の4年間なのかも知れません。
「時間を自分が管理できる煌めきの時」「直視の自由」という言葉が、心に刺さります。

学生の皆さんは、自分を見つめる為の貴重な4年間を過ごしています。 時間をどう使うかは皆さんの裁量で決まるのです。
80年代「モラトリアム」という言葉が流行した時代がありました。「大学生」を「肉体的には大人であるが、社会的義務や責任を課せられない猶予の時間」と捉え、どちらかと言うと…「甘えの時間」という、ややネガティブに揶揄する表現でした。

勿論「自由」というのは何をしても良いことでは無く、本当は「自由」ほど自己の責任が重くのしかかる選択肢はありません。 指示に従って動く限り、失敗の責任の一端は指示した者にも求めることが出来るかも知れませんが、自分が自由に選んだ選択肢には誰も責任を取ってはくれないからですね。

著者の渡辺憲司氏は「モラトリアム」の時期を積極的に、そして大いに悩み、有意義に生きよと説いています。 何を優先すべきか、今の自分は何をすべきかを自分でしっかり考え判断せよ…自己を直視する「かけがえのない時間」を生きよと教えてくれています。
自分の成長を願い、自分を見つめ必死に悩むことこそ、4年間の大学生活に与えられた皆さんの「特権」なのだと思います。

 

今回のエピソードの発端は、毎週のレポートによる「今日は後ろの方で私語が多かった」という学生からの訴えでした。
自分が成長していく中で、大人になる尺度のひとつを「どれだけ広く自分以外の人のことを考えることができるか」と捉えると、自分の行為が周囲にどう影響するかをイメージする「想像力の欠如」が「私語にブレーキを掛ける理性」を邪魔してしまうのだと思います。

関心の無い話題もあるでしょう。
しかし、どんなことでも自分の状況に置き換えて吸収できない…簡単に無関心になってしまえる姿勢はとても不幸なことだと感じます。
ハングリーな気持ちで「ものづくり」に取り組んでいれば、様々なことが自分の為にヒントをくれている様に感じることが出来るでしょう。
勿論、最終的には役に立たないことも関心が無いこともあるでしょう。 「海を見よ」ではありませんが、本当に自分にとって大切な優先すべきことがあるのなら、自信を持って退室される方があなたを成長させるかも知れません。

私はこの歳になって益々学びたいと感じる様になりました…時間を無駄に過ごす若い人達が残念でなりません。 無駄に使うなら私に下さい…と思うほど、一刻一刻が消費されていくことに心が痛みます。
学生の皆さんには、どうぞ貴重な4年間を過ごして欲しいと願うばかりです。

今回のブログは授業の内容とは無関係になってしまいました・・勿論、殆どの方が真面目に受講して下さっていますが、学生からの訴えから、自由を見つめることと自分を律すること…大学に通う意味を改めて考えさせてくれた1冊の本を思い出し、皆さんに「私語」についても「大学に通う意義」「自分の成長」として考えて頂くきっかけになれば…と感じています。

プロダクトデザイン 金澤

こ〜よ〜み〜の〜う〜え〜で〜は〜

でぃせ〜んば〜〜

で〜も〜ハートはサバイバ〜〜

 

こんにちは。

あまちゃん見てません、4年中川です。

 

もう12月ですね。。

12月1日はカイロの日なんだとか。

モデル制作も始まりテラスでガシガシ作業〜

これからもっと寒くなるなか外での作業、、うぅ〜〜

そんな事言ってる場合ではないですね!

ガシガシガンバリマス

 

 

動画作成:小寺

 

※カイロの差し入れお待ちしております

メナード美術館で公開講座(最終回)

名古屋造形大学では、小牧市のメナード美術館とのコラボレーションで、一般の方が対象のEXTENSION PROGRAM 名古屋造形大学公開講座を毎年4回行っています。

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今年のテーマは、「創造と想像」

今年最後となる4回目は、私し下尾が担当する事となりました。産学連携を担う社会交流センター長として司会進行は担当してきましたが、講義となると話は別です。大学での授業とは訳が違います。

どこのどなたがお忍び(笑)で来られてるかも知れないし、音楽の著作権を仕切ってるJASRAC(ジャスラック:一般社団法人日本音楽著作権協会)の方が目と耳を光らせているかも知れない。。。

 

11月29日土曜日。

朝からの雨も上がり抜けるような青空のもとメナード美術館に到着。

〆切りギリギリに突貫工事で作ったポスターも、なんとかサマになっててひと安心。

最初は、司会進行と講義を一人二役でやるつもりでしたが、それは来られた方へ失礼ではないか?という気がしましたので、受付に来ている学務の伊藤課長に司会進行をお願いしました。伊藤課長は入学式や卒業式でそういうのを何度も経験されているのでお手のものです。あの渋い声で紹介されるとなかなか気分が良いですねぇ(^。^)

ポスターのび太

その代わり、受付は一緒に来ていた大学院生ののび太君こと中井俊樹君にお願いしました。のび太君ありがとう(笑)。

(のび太と呼ばれるのはあまり気に入ってない様ですがww)

 

さて、14時、いよいよ開始。

来られるのは近隣の方だけだと思っていましたが、豊田市など遠方からのお客様もいらっしゃって、また、私より年上の諸先輩方も多く、少なからずプレッシャーが隠せないままの講義の始まりです。

 

講義タイトルは、感動の「食べ方」と「摂り方」

日頃から学生に伝えていることを少しアレンジしてご紹介しました。

普段から私が学生に言っている「大学の短い在学中で結果を出そうなどと焦ってはいけない。本番は、卒業後の60〜70年という長丁場の舞台だから、卒業後に芽を出してくる質の良い種を学生時代に沢山植えときなさい」という事を伝え、その方法を教える内容です。

しかしながら、来られている方々は既に豊かな人生経験をお持ちの方が殆どですので、釈迦に説法状態であるのです。この満身創痍の覚悟で挑んだのですが、終わってみれば皆さんからお褒めの言葉を沢山いただく事となりました。

 

今回は、感動の要素として大きな役割を持った「音」については、実際に体感していただくために、いろいろと仕込んできました。

例えば、お涙シーンの鉄板である花嫁がご両親へ手紙を読むバックに流れる曲について。

ご存じ山口百恵さんの「秋桜」をワンフレーズ流しながら「おとうさん、おかあさん、今までワガママな娘でごめんなさい…」などと私がノリで言うと、それだけでウルッとした空気が流れ始めました。

その空気の中、今度は三波春夫さんの「チャンチキおけさ」を流します。まるで、コントのオチのようにどっと笑いが上がります。これは、歌や曲の善し悪しを言っているのではなく、グググッと込み上がる感情は「音」に大きく影響されるという事を理解して頂く為の実験ですのでご理解よろしくお願いします。当然、三波春夫さんの大ファンなら「チャンチキおけさ」を聴いて、生前のお元気な歌声を聴いて涙する方も沢山いると思いますが、それは、感動とは少し違う涙ですね。

 

講義は聴く側が主人公です。なので、今回は少し寄せていきました。(笑)

が、

「とても分かりやすかったし沢山の気付きをいただきました。ありがとうございました!」

と、帰り際に上品な初老の女性に言われました。

少しお話ししたのですが、ご主人の介護をされている大変な毎日の中でも、気付きと学びを大切にしながら前向きに過ごすことができます!と最高のお褒めの言葉をいただきました。…もう恐縮するばかりでした。

 

とりあえず大仕事が無事に終了し、あまりにも嬉しいコメントまで頂いたので、その晩は1人祝いをしようといろいろと買い込んで帰宅しました。

でも、四捨五入して還暦の身にとって徹夜明けの1日は辛すぎました。

お風呂から出た後の記憶がございません。(笑)

 

プロダクトデザイン:下尾