2018年度卒業制作展振り返り

今年も無事に卒業制作展/修了制作展が幕を下ろしました。
今年は7名の学部生と3人の大学院生(内2人はジュエリーコースからの進学)が、1年間を掛け各自のテーマに沿って研究を進めてきました。
会場にて御覧頂くことが出来なかった皆さんにも是非学生達の頑張りを感じて頂きたいことと、頑張った学生達への餞(はなむけ)と私自身の振り返りとして、まとめておきたいと思います。もしお時間が許せば最後までお付き合い下さい。

岩崎希美:コモレビの巣


振り返ると…彼女は最も担当教員達をハラハラさせてくれた学生のひとり。彼女の中では一貫していたのかも知れないが、レビューする度にテーマや立ち位置が拡散していく感覚を覚えた。
最終的には、スマホに代表される常時接続感と溢れる情報に囲まれた今の生活に危機感を持ち、物理的なパーソナルスペースと仮想的なパーソナルスペースの在り方について考え、彼女なりの「モノ」に落とし込んだ。
当初、彼女は「20代の私が発信出来るプロダクト」を意識し、等身大の生活に潜むテーマの焙り出しを目的に、毎週毎に様々な「○○が無い暮らし」をスタートさせた。「○○」の代わりに前時代に戻る代用品や、無くても工夫すれば何とかなることが見えてくると…必ずしも「モノ」に依存しなくても成立する「生活」の中で、次第に「便利」と引き換えに手放してしまった穏やかな時間の大切さを意識し始めたのではないかと思う。「何もしないこと」を助けるプロダクト…という「カタチ」にするには少々やっかいなテーマに辿り着いた。穏やかな時間を妨げる過度な情報量がもたらす「錯覚」という「現実と認識のズレ」に興味を持ち、様々な事例とその要因を分類分けするところからスタートした。IT情報機器の存在で人と人との距離感が変わるにつれて、心地良い物理的なパーソナルスペースの変化、精神的なパーソナルスペースの変化、SNS(仮想空間)に於けるパーソナルスペースの定義、「おひとりさま」ビジネスの背景にある若い世代のマインドセットなどを分析したコンセプトスタディーは面白かった。
理屈はともかく、雛人形の巨大ボンボリの様な彼女の作品は、中に入った際、もたれるのに心地良い角度の柱の上に、肩、頭の高さにゆったりした空間が広がり、天窓に向かって収束するユニークでありながら、意外と(失礼)人間工学的で合目的なカタチとなった。中に入ると、肩から上は強化和紙で目隠しされ、紙越しに入ってくる外光を穏やかに拡散してくれる。肩から下は素通しの為、外の気配を感じることで、閉塞感無く適度に外界をシャットアウトできる実に心地良い空間となった。天窓に施した透かし模様が床の中央付近に影を落とし、紙、白木の素材感と合わせ、和の雰囲気を感じさせる世界観を備えている。本人によると「鳥の巣」をイメージした造形と素材とのこと。過度な情報をもたらす「web」が、「蜘蛛の巣」で獲物を捕らえるためのトラップだとすると、「鳥の巣」は「nest」。命を育み、これから巣立つ為の充電をする場所がモチーフになっているのは納得出来るメタファーだ。作品は「展示後譲り受けたい」という申し出が複数あり、多くの共感を得た様だ。当初の計画から素材や構造が(作業を進めながら)どんどん変わっていった経緯は…良く言えばフレキシブルだが、次の日には計画が変わり、目指すモノが2転3転するプロセスは心臓に良くなかった。当初、透かし彫りのMDFで仕上げようとしていたシェード部を強化和紙に変更したのは、怪我の功名というか…結果オーライな心変わりだった。天窓の格子柄パーツは精度が出ずに残念だった。
最後の最後まで木工を中心とした工房での作業に「間に合わない、間に合わない…」を繰り返す毎日だったが、彼女はいつも明るく笑顔で乗り切る強さも持っていた。「テヘッ」キャラの彼女は、身振り手振りが活発で、じっとして喋れないユニークな体質だが、その明るさにみんなが救われていたと思う。

加藤香奈:マルマル


JIDA努力賞、おめでとう。
年度の最初に卒制の研究テーマを発表するプレゼンテーションを実施するが、彼女の研究テーマは「一生、引きこもれる室内テント」。「いっ…一生引きこもるの?…」前述の岩崎といい、学生のみんなは、そんなに煩わしい毎日を生き、ストレスに苛まれ、逃げ出したくて、ひとりになりたくて大変な思いをしているのか…と思いたくなる様なプレゼンが続いた。確かに何もせずにゴロゴロするのは気持ちいいけどね…。中間審査の時には「心も体も安らぐベッド」にテーマが変わり、少し安心。天蓋付きベッドや、アルニオのボールチェア、モンゴルのゲルの様なテントや蓑虫の様に袋に入ってぶら下がる寝袋の様な提案まで色々な形態を模索したが、最終的には、心が落ち着く空間の研究の中で、体内環境を取り上げた。身体を丸めて自分の体積を小さくすることが安心感や落ち着きに繋がり、程良い凹型の受け皿が小さくなった身体を包む様にホールドしてくれる寝心地は、確かに気持ちが良い。余り激しくスイングするのは気持ちが悪くなりそうだが、「マルマル」は底部がラウンドしており、姿勢を変える時に適度に揺りかご効果が得られる。説明パネルの画像(本人)の様に丸まって中心部に小さくなる姿は、花の形を模した造形と相まって、御伽噺のワンシーンの様な微笑ましさを感じる。実際に寝転んでみると、身長が175cmの筆者でも安定的に乗ることが可能で、花びらのひとつに頭を乗せる角度で仰向けになると、頭の両側の花びらが肩をサポートし、残りの2つの花びらが太腿の裏側をサポートしてくれる。この感覚を体験すると、単に可愛くて花のカタチにした訳ではないことが理解できる。足を投げ出し床に付け、寝転ぶだけでも凹型が適度に身体をホールドしてくれるので、なかなかの寝心地である。クッションは硬さ(軟らかさ)が座り心地の大切な要因となり、凝った作りになると部位によって硬さを使い分け体圧分布をコントロールするものも多いが、マルマルは比較的硬めのウレタンを使用しているため、不必要に身体が沈み込むことが無く、揺りカゴの様に揺れてもしっかりしたホールド感を得ることができる良いバランスに仕上がったと思う。表皮はトリコットスエード調の柔らかな肌触りに、穏やかで優しいベージュをセレクト。狙いに対する表現としても妥当性を感じさせ、作品の理解を助ける良いチョイスだと思う。惜しむらくは、スイングする為の台座…合板を格子状に組み、床に直交するエッジをラウンド形状に削り転がる動きを持たせたが、合板に沿った向きと沿わない向きでスイングするフィーリングが異なる「転がりムラ」の様な現象が起きた。工作作業は難しくなるが、放射線状に合板を組み、同心円状に補強する構成の方が「転がりムラ」が少なく、また上屋の花びらの形状とのマッチングも良かったのではないかと思う。また、クッションを天板に位置決めする為に、天板上の5カ所に唇型の突起パーツを設けてあるが、この唇型の両端をシャープにすると強度的にも弱く危害感も出るためR処理を施した。合板はステイン仕上げ、ベースの天板には明るいピンクのカットパイルを敷いた為、このR処理の部分でここだけピンクのカーペットが露出することとなり、遠目で見た時の花びら型のシルエットにはノイズとなった。カーペットの色をステインに合わせたダークなものにするか、一回り台座を小振りに設計し、花びらの下に隠してしまうディテールでも良かった。
花びらのひとつひとつと中心の円形はずれない様に嵌められてはいるが、固定されてはいない為、それぞれを取り出し、クッションや椅子として自由に使用できる。いつも穏やかな性格の彼女らしい優しい作品を見ていると、人柄と作風(世界観)にはやはり切っても切れない関係があり、彼女の個性が魅力的に…文字通り「花開いた」作品になったと思う。筆者も含めて…展示では本当に沢山の人が実際に寝転んでみて「欲しい…」と思わせたのでは無いかと感じた。

神林さやか:指道具


JIDA優秀賞、コース論文賞、おめでとう。
彼女は、ロジカルな思考がしっかりしていて、コンセプト作りの視点やアプローチがユニークな学生だ。最初に驚いたのは、2年生の課題で学外のコンペにチャレンジするプロジェクトを進めた際、彼女は飄々と国際コンペで3位を獲得し、早くからコンセプト、アイデアやその表現に於いて頭角を表していたこと。3年生の課題で取り組んだ「引っ掛ける」というワードから展開したプロダクトでは、木材の持つ「しなり」や「しなやかさ」を巧みに利用したハンガーを考案した。普段は短冊が並んだ壁面の一部が、モノを掛ける時に短冊のひとつが弓の様にしなり荷物をホールドする仕組みで、自然のテンションの美しさと従来のハンガーの姿に縛られない「モノ」のカタチを見せてくれた。今回の作品は、この時の経験が自分の中でしっくりきた実感を反芻する様に「動作」が持つ「言葉」に早くから注目し、何百もある動詞を片っ端から検証/分類し、人の所作とデザイン(カタチ)との関係を考えることからスタートした。今やスマホで…指一本で様々なことをコントロールできる時代。器用も不器用も関係の無く望む結果を手に入れることができる有り難い時代であるが、反面、それらは本来の指の繊細で感受性豊かな感覚を排除し、単なる操作の道具に成り下がることだと彼女は考える。手や指の機能を「運動器官」「感覚器官」「伝達器官」の側面から考察し、それらを切り離さず複合的に使うことで、より多くの情報をモノから得たり、より繊細に制御できる様になる表現手段としての「手(指)の復権」が彼女の大切なメッセージである。レポートでは、解剖学的な手の機能や動き、文学的な比喩で使用される手の持つ表現力の豊かさにまで言及し、手の本質を見出そうとした内容が展開され読み応えがあった。リサーチした膨大な情報を整理し考え方を組み立てていく上で、自分の考えやアイデアを文章としてまとめておくことは、その後のパネル制作やプレゼンテーション時にも有効であると考え、今年度初めて、卒業制作に加え論文を課題として課した。苦労した学生も多かった様だが、彼女の設定したテーマ、着想、考察と文章力を見て、ささやかだがコース内で「論文賞」を設け、彼女に授与することとした。
さて、作品では様々な道具を使う「指」にフォーカスし、「運動」「感覚」「伝達」を総合的に捉える手段として、指の先にダイレクトにサックとして嵌めることで対象物と指の間にある道具をミニマム化することを試みた。
ハサミのミニマム化では、ジャンケンの「チョキ」のカタチで、ダイレクトに指で紙を切る行為に繋げ、感覚器官としてのフィードバックによって、より繊細に切りたい形状を伝達できないかという試みとなり、スティック糊では、指で紙を挟むことで台が無くとも安定的に糊付けができる利便性を実現している。描くという行為では、子供の頃に蝋石を使い道路に自由に落書きした体験を彷彿させ、測る行為では、人のスケールを意識することで「モノのサイズ」をより身近な存在に変えてくれる。
検証というプロセスを得ることが出来なかった点は残念だが、身近な道具の中に「指の復権」を試み、子供から大人まで楽しめる…ハンディキャップを持つユーザーにもひとつの可能性を提示したアイデアは、ユニークだが共感出来る。筆者はデザインを提示する上で「世界観」がとても重要と考えているが、展示の方法も彼女らしいオリジナリティーのある垂れ幕の様なグラフィックで独自性を出してくれた。

玉置みづほ:センチメモア


卒展の最終日前に当たる2月23日に実施されたJIDA(日本工業デザイン協会)中部ブロックの次世代育成事業による卒制訪問での彼女のプレゼンは中々良かった。普段の「あ〜もうだめだ〜」的な悲壮な姿からは想像出来ないくらい、しっかりと自分のアイデアを伝える姿は頼もしかった。彼女は当初から、水やアクリルを使った透明感のある表現や素材に興味があり、一方で「花言葉」によるメッセージを使ったギフトに興味を持っていた。
商品の購入動機として「機能」「価格」といった【理性】と、「見た目」「感情」といった【情緒】のバランスが作用しているとし、「理性と情緒のバランスで人はモノを買う」という仮説の中で、「人のためにモノを買う」場面に於ける【情緒】として「贈り手の想いや気持ち」をしっかり伝えることの大切さを訴えたいと感じていた様だ。ダイレクトに伝えることが苦手な日本人の「照れ」「遠慮」「慎み深さ」などと絡め、贈って直ぐでは無く一定時間を経て相手に真意が届く「タイムラグ」によるギフトの演出を模索した。「贈り手の想いが相手に届くまでの時間を楽しむ」という体験が双方にとっての価値となり、「メッセージを発見した時の驚きや喜び」が、受け手にとっての付加価値になる様なコミュニケーションとしての視点からギフトを考察している。件(くだん)のプレゼンで感心したのは、説明の中での「きちんと言葉で相手に想いを伝えることが大切な時代…云々、○○であるべきだと思う」といった一連の台詞。一般的には「こういうことを調べたら、こんなことが分かったので、この様にした」というプレゼンが多い。これは…作者の個人的な意見では無く客観的なエビデンスがあるぞ…というアピールであり提案に説得力を持たせる手段でもある。確かにリサーチの末に得た答えではあり、視点や切り口にはオリジナリティがあるかも知れないが、リサーチの結果と対策はオートマチックにひとつの答えが導き出されるものでは無く、そこには多くの選択肢や可能性がある。何故それを選択したのか…には「ビジョン」が必要で、彼女は「○○であることが、望ましい社会であり、そうあるべきだと考えている」ことを自分の「ビジョン」として口にした。その口調は、プレゼン時の手の振るえとは裏腹に、実に頼もしく、実にカッコ良かった。


話が逸れたが、作品は花キューピット式に、贈り手が花言葉に込めた想いから花を選びメッセージと合わせ申し込む。受け手は、水溶紙に包まれたギフトに水を入れ24時間待つと選ばれた花が姿を現し、合わせて届けられたQRコードからメッセージを受け取る…というビジネスモデルの提案とも言える。当初の「水やガラスの透明感」を死守し、紆余曲折はあったものの「美しさ」を彼女の世界観なりに表現できたと思う。筒型の形状やサイズ感、中に入れる花のデフォルメと表現手法、タイムラグを生む為のアイデアや素材の模索など、シンプルなアウトプットの中にも、ちゃんと多くのトライ&エラーが詰め込まれている。中でも、美術館では展示に「水」を使用することが許されていない為、展示の方法については苦労した。最終的には透明レジンで固め、水のレンズ効果に近いモノを再現したが、搬入の間際の間際まで失敗を繰り返し、教員をハラハラさせてくれた。試行錯誤の末に辿り着いた、細いワイヤーにマニキュアの膜を張る花の表現は実に繊細で工芸品としても見応えがある。LEDの照明を入れるアイデアはインテリアとしての飾る魅力を増し、断面がグリーンに見える透明アクリルを使った天板のレイアウトなどにも拘り、彼女の世界観を堪能させてくれた。冒頭の岩崎と並んで、教員達を最後までスリル満点の境地に追い込んだ犯人のひとりである。

西尾和真:見る、ミル


桃美会賞、JIDA最優秀賞、おめでとう。
4年前のオープンキャンパスで彼と始めて出会った時、車が好きだ…という話をしてくれた。実際に車の知識も豊富で、好きな車についての講釈も持っていた。筆者は自動車メーカー出身なので「車好き」と聞いただけで肩入れしてしまう傾向を否めないが、彼の魅力は「好きなことに対する知識の豊富さ」だ。今回は、コーヒーという彼を虜にした…もうひとつのお話。デザインを進めるプロジェクトチームの中で、そのプロジェクトに一番詳しいのは誰か?正解のひとつは「担当者」だ。勿論、統括するマネージャーは全体を把握し、関連する情報量も多いが、大局的にプロジェクトを推進していくための判断をすることが使命であり、担当者の持つ情報とは詳細の種類が異なる。設計者とミリ単位でカタチの攻防戦を繰り広げているのは担当者であり、問題の原因、制約、解決手段のオプションは担当者の手の内にある。問題無くデザインの主張が通っていく調整を手際良く担当者が行えば、問題点はマネージャーの所まで上がって来ないことさえある。4年生には教員を4人充てているが、それぞれに専門分野もキャリアも異なる。お陰で広い視野で学生の選んだテーマを捉えることが出来ると考えているが、当然、自分の専門分野では無い場合もある。経験と知識から最善と考える助言や情報を伝えるが、専門分野では無いテーマの場合は教員もまた一緒に学びながら課題を進めていくことも必要となる。是非、学生には「教員は生きてきた年数分だけ色々なことを知っているかも知れないが、こと今回の○○に関しては、これだけ調べた自分の方が詳しいはずだ。反論するならしてみろ」くらいの意気込みで向かってきて欲しい。普段から優しいキャラクターの彼の強さは、この好きなことに対するエネルギーの掛け方が半端ないこと。こちらが疑問に感じることについては、リサーチの成果として殆どのことに自分なりの回答を持っていると感じさせる信頼感があった。今回、取り組んだコーヒーミルについても、論文に詳細をまとめてくれたが、「好きなのね…」とコーヒーに嫉妬する程に入れあげる様子が伝わってくる。


さて作品は、プラネタリーギアと呼ばれる変速ギアを用いることで短時間で手挽きによる効率的なミリングを実現するミルの提案。従来のミリングの歯の仕組みが持つメリット、デメリットを分析し、新たな機構をビジュアルにも活かし、その存在が、ただ豆を挽く道具から一緒に時間を過ごすパートナー達とのコミュニケーションツールとして機能するところまでをイメージしている。中心のギアの周りを遊星ギアが自転しながら回転する動きは見ていても美しく、隙間をコントロールすることで粒度の調整をする仕組みもフォローしている。論文では、最終の提案に繋がる物語部分にもっと丁寧な追い込みが欲しかったが、色々な機器の解体、コンセプトの広がり、アイデアスケッチ、原理モデル、機構モデル、サイズ検証モデル、材料検討、展示計画…どれを取っても相当な物量をこなし、拘りを見せてくれた点を高く評価した。最終モデルでは、本当にこれで豆がイメージ通りに挽けるのか、また商品としての「美しさ」にまで辿り着けたか…という疑問は残ったが「研究」としての取り組みという点では、この1年間の頑張りは2つの賞を持って行くに値するものだったと感じる。(彼と一緒にモビリティーを研究する夢は叶わなかったが、クルマの変速機にも使われているプラネタリーギアも出てきたので許すことにしよう)
彼もまた、日程管理を含めた自己管理がしっかりできた学生の1人で、卒展の搬入時には自分の荷物の開梱を後回しに全体のセッティングに走り回り、最後は隣のコースの照明の調整までやってのけた。「余力を持って全体を見る」ことは時間的な余裕だけでは無く、気配りや周囲への配慮といった気持ちの持ち方に拠ることが多く、出来そうで難しい能力であり、社会に出てからも可愛がられる素養のひとつである。いつまでも、その優しい心根を維持して欲しい。

野呂翔子:旬ぐらし材料室


コース優秀賞、おめでとう。
「疑わしきは、はみ出せ」私が企業に就職した頃に尊敬するチームリーダーに言われた言葉。「新しいことを思い付いたが、これは自分の職制とは少し違う…自分がやるべきかどうかグレーゾーンだ…そう思ったら、迷わずお前がやれ! それがお前の知見を広げプレゼンスを上げる。大変かも知れないが、そこで得た経験は会社では無く、お前のものだ」と言われた。今やデザインの分野を明快に線引きすることは出来ず、様々な技術やトレンド、分野を総合的に横断しながら、大いにはみ出していくことが活路を開く大切な視点である。彼女のアウトプットは、プロダクトデザインの分野から見ると物足りなさを感じるかも知れない。物理的な立体としての商材とは言えず、スタイリングや機能を検証出来る商品でも無い「ビジネスモデル」の提案であり、ブランディングのベースとなるコンセプトの提示だと言える。作品は一言で言うと「(本当に美味しい)野菜を食べていない人に「旬野菜」を食べるキッカケを提供する為の実験室」…といったところか。個人的には「野菜のDIY」という彼女の言葉が分かりやすく気に入った。ユーザーが取りたい野菜からメニューを模索し、自らが調理し、カトラリーや食器を選び、その場で食べることができるセルフサービス型レストランという仕組みで、その季節の旬の野菜を知ってもらい、味を堪能してもらうことで本当の野菜の美味しさを伝えたい…素晴らしアイデアだ。レビューの中では、レシピや創作料理をSNSに乗せるなど、新しい野菜の訴求方法にも目が向けられていた。実家が農家であることを今回の卒業制作で初めて知ったが、ひとり暮らしを始めるまで実家の美味しい野菜しか食べてこなかった作者が、ひとり暮らしを始めて、スーパーで買う野菜の味の違いに驚いたという実体験からスタートしている。彼女の論文は(筆者にとって)実に勉強になった。農業に対するイメージや考え方も変わり、彼女がリサーチした内容の面白さ、自分の農業に対する考え方、まとめの上手さなど素晴らしかった。「旬で食べる」ことが少なくなった背景には、季節を問わず豊富に野菜を収穫することが出来る技術や化学肥料などの存在が想像出来るが、必ずしも化学肥料を用いた農法が妥協の産物な訳でも無く、「有機農法」や「無農薬栽培」といった手法が無条件に素晴らしい訳でも無いこと、そして「手間が掛かり高価」「作り手が少なく高価」といったイメージによる先入観もまた間違いであることを知ることができた。従来のプロダクトの路線をはみ出そうとする彼女の取り組みは魅力的だった。
最終審査の後に行った「桃美会賞」を決める担当教員達との協議の中で、最後まで上段の西尾と迷った。昨年度も加藤愛理が「ゆるふわタウン」というビジネスモデルの提案を行ったが、加藤の場合は街並みのデザインからキャラクターのフィギュアデザイン、SNS用のスタンプやプロモーションビデオまですべてをオリジナルの創作物でまとめたのに対し、野呂の作品は本人のプレゼンテーションでも語られた通り、コーディネーションの範囲に留まった点で、最終的には西尾に軍配を上げる結果となった。中間審査の時には、野菜のカタチを模した立体的なメニューが提示され、面白くなる予感を感じさせたが、グラフィック的なアイテムのまとめに腐心する中で、以降のプロダクトアイテムへの展開には手が回らなかったと感じた。
彼女の素晴らしい点は、圧倒的な自己管理能力とグラフィックセンスを含めた表現力、ストイックに自分の目指す方向を見据えた行動力、今回課した論文にもみられた筆力…など数え切れない。こういう…放っておいてもきちんと出来る学生は、ある意味、手が掛からず楽…だが、反面、彼女の仕事振りに甘えていたかも知れない。経過報告での進捗と黙々と作業をこなす姿に安堵した点で、申し訳ないことをしたと反省。どういう落とし所に持って行くべきかが難しいテーマにチャレンジしたが、展示ではその場所の世界観を共有するアイデア、空間を意識したレイアウト、映像を取り入れた表現などが面白かった。

林将輝:コドモのツクエ


全体ビデオの編集、御苦労様。コースの紹介ビデオ以来、動画は林君…の様な暗黙知で、彼に負担が掛かってしまったが、最終審査や搬入の様子など直前の映像まで混ぜて編集をしてくれたことで、この1年間を振り返ることができた。
さて、今回の彼の作品は、その見せ方のユニークさに大きなポイントがある。作品自体は、子供の視線で見える世界と大人のそれを対比させ、テーブルの上を「大人の世界」、テーブルの下を「子供の世界」と定義し、子供の目の高さでくり広げられる日常を冒険心たっぷりに切り出そうという試み。テーブルとしての機能は、この際少し優先度を下げ、(おそらく誰もが持っている)4本足のテーブルの下に入り込んだ経験を思い出して頂こう。テーブルの下が居心地の良い自分だけの空間だったことにワクワクした記憶をお持ちの方もいるだろう。空想の基地であり、落ち着く砦だったテーブルの下には枝の様な造形が広がり、森の中を探検するトム・ソーヤの気分だ。木漏れ日を想定し、天板の一部には穴が空けられている。展示では、大人目線では、テーブルの下に潜り込むことが出来ない為、彼はひとまわり大きな箱を設置し、テーブル下からの点光源で、箱の内側にテーブル下の世界を影として映しだした。身長の高い人には少し屈む姿勢を強要するが、あたかも子供に戻ってテーブルの下に入り込んだ気分にさせてくれる演出にやられた。テーブルのカタチそのものがプロダクトデザインで言うところの成果物だが、彼のアイデアは、その見せ方の重要性を教えてくれる。木の枝にぶら下がったフォークやぬいぐるみの影を発見した時に、思わず「どうなっているのか?」とテーブルの下を覗き込んでしまう自分に少し嬉しくなる。木の枝をモチーフにするならば、従来の四角に縛られず自由な形状をテーブルに与えても良かったのでは…とのコメントも出たが、影を映す箱の中がテーブルの下を模していることを明快にするには、四角の方が良かったのかも知れない。箱の四隅に丁度テーブルの脚の影が映る様に縦横比を合わせ、見学者の「視点」を操る面白い仕掛けが完成した。
彼は当初、現状の「子供向け商品」に対する疑問からスタートし、家具に展開したいという思いはブレずに進めることができたが、当初は「子供向け商品も大人が作っている…真に子供目線(欲求)で作られたものが無い」という根拠が曖昧で検証が難しい仮説を立て、問題点をどう捉え、どう展開していくのか見え辛い時期が続いた。幼稚園にリサーチに行くものの、林君の視点と作為が入った瞬間に、やはりそれは「真の子供の欲求」で作られたものになるのかどうかが分からなくなる自己撞着が起こるためで、子供自身がデザイン、設計することが出来ない以上、何を以て「真の子供目線」と定義するかの焦点が定まらず苦労した。ある時、自身の子供の頃の体験から、テーブルや椅子の下に潜り込んだ時に見た天板や座面の裏の始末が安っぽく落胆した記憶を根拠に、子供をガッカリさせない「裏側の世界」に糸口を見つけた様だ。そこから発展し「裏側」では無く「子供にとっての表側」を意識することで、付加価値になり得るヒントを探り当てた。裏側を綺麗に仕上げるだけならコストを掛ければ実現するが、問題解決では無く問題提起として、それに見合う付加価値を子供の目線から見出した…文字通り「着眼点」に感心した。子供が「ごっこ」を経験する舞台装置としては贅沢な設えだ。一緒に遊ぶハックルベリーも見つかるに違いない。JIDAのイベントで色々な美術系大学の卒展を回っていると、最近、子ども向けの家具や玩具、衣類などに興味を持つ学生が目に付く。少子化の中、子どもに対する愛おしさや大切にしたい…そんな思いが強い時代なのか、誰もが経験した子ども時代を振り返りたくなる程に大変な毎日を実感しているのかは別にして、彼の穏やかで優しいキャラクターらしい、童心に返ることができる素敵な作品だった。

堀田蒼:DESSIN


彼は学部の卒業制作展でも白黒専用のカメラを提案した。例年、実施しているJIDAの卒展訪問時のプレゼンでは、前回の作品(その作品で彼はJIDAの最優秀賞を受賞)を覚えている方もおられた。普段は寡黙だが、熱心で真面目なキャラクターで、コツコツ丁寧な仕事をする。スケッチテクニックもレベルが高く、工業デザインの王道を行く学生だ。学部でやり残したテーマを継続して研究したいとの想いで大学院進学を決め、公約通りモノクロ専用カメラ「DESSIN Ⅱ」とも言うべき作品に取り組んだ。「DESSIN Ⅰ」が、直線を基調としたクールなボディデザインであったのに対し、今回はやや丸味を帯びた優しいスタイルに変化した。2年の時間が流れ、彼の思うところにも変化があったのかも知れないが、前回の無機質でメカニカルなイメージによるマニアックなユーザーの心をくすぐる意匠に対して、緩やかなカーブや張りのある面処理は洗練度が上がり、よりユーザーの間口を広げるデザインに生まれ変わった。その点では、前回はややハイスタイルに目が行きがちな提案であったが、今回は、このカメラを使用した表現のバリエーションや楽しみ方にも言及し、ライフスタイルの提案にまで研究の幅を拡げた点に、その進化を感じる。「モノからコト」と言われ久しいが、商品を通して得ることが出来る体験に価値を見出すアプローチは益々大切になる。

2年前の卒制作品「DESSIN」2016年度

ひとつ目のポイントは「出力」。最近は誰でもカメラを持ち歩く(スマホに付いている)時代、画像は撮り溜めていくばかりで、出力する機会もないまま「いつでも全てを持ち歩き、見たい時に見る」或いは○○映えを意図し「SNSにアップする」ことが画像の楽しみ方。彼は、敢えて物理的な紙媒体…ロールの印画紙に連続で出力できることを前提に、レビューのライトテーブルモードで画像の順番を入れ替える機能を想定した。撮り溜めたデータの順番を編集する機能は、既存の商品でも、ありそうで無いものだ。順番を変えることでストーリーが変わり、その組み立て自体も撮影者の表現の一部に取り入れる試みである。プリンターをコンパクトに収める為に採用したのが医療用感熱紙。MR検査などに使用される感熱紙はラティチュード(明暗の表現幅)が広く、感熱温度が高いため、常温保管でも焼けてくることが無い特性を持っている。一連の流れを物語の様に表現することはモニター画面では難しく、新しい表現のひとつになるかも知れない。2つ目のポイントは、専用のギャラリーサイトによる、作品の展示システム。ピンタレストやインスタグラムは、もはや画像共有の標準言語と化しているが、SNSを活用したモノクローム専用のギャラリーによる作品を集めた情報共有システムにより、モノクローム写真で難しい各種パラメータやフィルターワークの情報を交換・共有できるスキルアップの側面もカバーしている。3つ目は、インターフェース。いくつものパラメータをより直感的に把握しやすい様に、各数値をグラフの様な図形で表示することで、数値のバランスをビジュアルで感じさせる試み。数値の羅列よりもイメージとして把握する方が有効性が高いのではないかという仮説に基づく。モニターやファインダーもモノクローム表示される前提で、ファインダーを覗かない方の裸眼で実際の景色を確認出来る様に上部がカットアウェイされたスタイルは「DESSIN Ⅰ」から引き継がれた。「インスタ映え」が2017年の流行語大賞となったが、私たちは毎日の暮らしの中で…友人に共感してもらうことを目的に景色を四角く切り取る視点で日常を見る時代になった。表現のひとつとして様々な加工が出来るアプリなども人気だが、色の情報を取り除くことで見えてくるシンプルな世界やダイナミズム、想像力を掻き立てられるワクワク感は改めて写真の魅力として若い世代にも人気が出そうだ。彼らにとって白黒はレトロでは無く新鮮な表現手段に見えているのかも知れない。

展示期間が終了し、来場者もいなくなった会場にて

彼らのモチベーションは、一体何だろう?
「やりたい」からやるのか「やらなくてはいけない」からやるのか…。「自分はこの程度だと思われたくない」という見栄が原動力になることもある。「欲」であれ「義務」であれ「見栄」であれ、学生のテンションは見かけからは分かりづらい時もある。「やらなくてはいけない」から?…と感じるのは、時折直面する「諦めの良さ」。良く言えばフレキシブル、多様な考えに寄り添っていけるとも言えるが、これで無いとダメだという思いは、確信が持ちにくい時代には、難しいマインドなのか? 単に時間の管理が上手く行かずに妥協せざるを得ないのか?
誰しも「失敗」は望まない。「失敗」は時間と予算を圧迫することに直結する為、せずに済むなら避けて通りたい…という思いと「研究」という探求行為とは相容れない。大学は研究機関であり、自分のアイデアを打ち砕かれてこそ経験値が上がっていく。またそれが大いに許され…推奨される現場でありたい。その為にも余裕のある日程管理が必要で効率的な作業が求められる。消耗品が多い美大生にはバイトの時間も必要で大変だとは思うが、資材の調達や不測の事態への備え、バックアップできる時間や善後策など、総合的にプロジェクトを管理する絶好のチャンスでもある。帳尻を合わせて出来れば良いのでは無い…もちろんアウトプットとしての制作物も大切だが、このセルフマネージメントを学んでいると実感することができれば、彼らはもっと強くなれる。

散らかったアトリエも学生がいる間は活気に満ちて、ひとつのゴミも人が生きている証に見えたが、搬入が終わり学生の姿の無いアトリエは、ただのゴミ屋敷。楽しいことも苦しいことも共有してきたであろう学生達がそこにいた…と思うだけで、もう4年生ロス症候群が始まりかける。本学に着任して丸5年になるが、この5年間で最もスケジュールが遅延した学年だった分、強く印象に残る学年でもあった。
3月1日、今日は青空が広がる春らしい穏やかで気持ちの良い一日。彼らの卒業式の日も今日の様な気持ちの良い晴天であることを心から祈っている。

プロダクトデザイン 金澤