本物(実物)を見て、大いに議論しよう!

2回のワークショップ型授業を終えて、平常通りの講義型に戻りました。
今日は、幾つかのプロのデザイナーの作品を見ながら、その発想方法や着眼点、デザイナーが形に込めた意味を知るプログラムがひとつ…これは、本当は発想方法のヒントのひとつとして、ワークショップ型の前にやりたかったのですが、予定していた10月6日が台風で臨時休校になった為、順番が後先になってしまいました。

もう1つは、ちょっと堅いですが、産業革命以後の近代デザイン史の流れを俯瞰するプログラム。
私達が毎日目にする…様々なプロダクトの自由なデザインの意味を考える時、プログラム前半のデザイナーの発想と合わせて、時代の中での意義を想像することで、モノの理解が深まることを意図しています。

私が大学に進学したのは1981年…まさにポストモダンの代表とも言える多国籍デザイナー集団「メンフィス」が結成された年でした。 グループの中心的存在だったソットサスの…訳の分からないポップな形態と奇抜で刺激的な色…でも何故か底抜けにパワフルなエネルギーの発露…反逆とも言える形の解放を謳ったムーブメントにワクワクした記憶が残っています。

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同時に…私にとって、デザインとは何なのか…が判らなくなった迷いの時代でもありました。
観念的な呪縛やクライアントからの制約が無かったなら、デザイナーはどんなものを作れるのか…必然から、かけ離れながらも、デザイン…いや、スタイリングが「見ていて楽しい」価値を提供し始めた時代だったのかも知れません。 折しも日本はバブルに浮かれ、秩序も論理も、品位や道徳までも…力業で突き進もうとしていた「何でもあり」の時代感覚とシンクロしていた様に思えます。 学生時代は友人達と生意気に「デザイナーとして超えてはいけない一線を越えているか?」などと言った議論を偉そうにした記憶があります。

(画像は、http://ja.wikipedia.org/wiki/メンフィス_(デザイン)より引用)

時代は遡って、1903年にマッキントッシュがヒルハウス邸の寝室用にデザインしたハイバックチェア(通称:ヒルハウス)も、学生時代の強烈な記憶として残っています。 一見シンプルな構造のモダンな椅子ですが、アーツ・アンド・クラフツ運動の理念であるクラフトマンシップを尊重し、土着の伝統的な要素の復興に由来したデリケートな造形です。

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楕円柱の脚は、前の2本は上から下へ、後ろの2本は下から上にテーパーが施され、東洋的なイメージさえ醸し出す格子状のバックトップ、緩やかなアーチのラダーなどの繊細な造りは、明らかに鑑賞する価値を椅子に与えた新しいアプローチだったことが想像出来ます。 大学生当時、六本木のAXISにカッシーナ社が入っていた頃、写真で見るよりも小振りで凜とした存在のヒルハウスを何度も見に行ったことを思い出します。 アルガイユやウイローチェア、リートフェルトのレッド&ブルーやジグザグなど、キリがありませんが、プロダクトデザインの黎明期の作品は、「何か普通じゃ無いモノ」として、若き日の記憶に鮮明に焼き付いています。

(画像は、http://www.timus.co.jp/shopdetail/017001000029/ Designer’s Funiture TIMUS より引用)

今の学生の皆さんにも是非、本物(実物)を見る機会を増やして欲しいと思います。
浪人時代、幾度と無く描いたブルータスの石膏像の原型…ミケランジェロ作の胸像を初めて上野の美術館で見た時に、その荒々しいノミの跡や迫力に感動し、それまで自分が描いてきた石膏像がなんてツルツルの情けない立体だったのか…と感じた様に、本物の迫力を知る機会を増やして欲しいと思います。

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(画像は、http://www.wga.hu/html_m/m/michelan/1sculptu/2/  WEB GALLERY of ART より引用)

胸像ごときで感動できた当時の自分が懐かしい…否、まだまだ感受性旺盛です。

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今回はそんな思いもあって、前述エットーレ・ソットサスのオリベティ時代のマスターピース、バレンタイン(タイプライター)を持ち込みました。 当時、強烈な印象を放ったであろうオレンジのプラスチック、バケツの様なケース、何よりその佇まいに古き良きデザイナーの反逆精神を読み取って下さい。(ウイークリーレポートには「かわいい」とのコメントが多数…可愛い…のか?)

プロダクトデザイン 金澤