2月25日(月)晴れ

今日もめちゃくちゃ寒かった。
朝9時に大学へ。今日は会議はないが書類作成の仕事を行った。
急ぎの仕事はとりあえず終えたので、少し早めに(なんとまだ明るいうちに)帰宅した。

昨夜はクロストークの打ち上げの後、バスで帰った。
実はその時に思い出したことがあり、ブログにアップしようと書きかけてボツにした文章の続きを書く。
少々長いが、今日はちょっと時間があるので・・・

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楽しい打ち上げを終えてバスで帰宅しようと近くの高速バスのバス停へ。
時刻表を見てびっくり、土日の時刻表の高速バス最終便が無くなってる!!
でも、別ルートの”都市間高速バス”の最終便が25分後に来るので、それを待つことにした。
ただ、バス停は吹きっ晒しでめちゃくちゃ寒い。背後にある”名古屋市短歌会館”という建物の入口が少しへこんだ所にあるので、そちらに移動して風を避けた。

その時、フラッシュバックのように蘇ってきた記憶がある。
それは9年半前、2003年の9月のある日の真夜中、場所はオランダのレーワルデン(Leeuwarden)の駅。

名古屋造形大学はオランダの北部、フローニンゲン(Groningen)のアカデミーミネルヴァという美術大学と交換留学の提携を結んでいる。2003年の9月、学生作品の交流展を開くために教員数名、学生と一緒にフローニンゲンに滞在していた。

そんなある日、私はアムステルダムのコンセルトヘボウのコンサートを聴きに行った。曲目はブルックナーの交響曲第9番、指揮は長くコンセルトヘボウの首席指揮者を務めたハイティンクだった。曲目は、もし1枚だけしかCDが聴けない刑に処せられた時(そんな刑があれば..)、おそらく選ぶであろう最有力候補だ。しかも私が世界中のオーケストラの中でベスト5に入ると思っているコンセルトヘボウ、そして指揮者がハイティンク。その切符が手に入ったことが信じられない思いだった。

夢のようなひとときが過ぎ、アムステルダム中央駅から電車に乗ったのが午前0時を過ぎようとしたころだった。
オランダでは電車が途中の駅で車両を分離したり連結したりしながら走るので油断ならない。私は念のために列車の窓からホームの駅員に「この列車はフローニンゲンに行くのか?」と尋ね、確認を取った。

安心しきって窓の外を眺めていたが、1時間ほど経ったときに何か風景が違うことに気が付いた。こんなに何にも無い田園風景(といっても真っ暗だが)が続くはずはない。
その時点で事態はほぼ掴めていた。つまり私は「この列車は」ではなく「この車両はフローニンゲンに行くのか?」と聞くべきだったのだ。想像するに、途中の駅で車両が切り離され、フローニンゲン行きとは別の方向へ行く車両に私は乗っているのだ。
まあ、そうと分かればジタバタしても仕方がないのでどっしりと構えて旅を続けた。アムステルダムから2時間ほど走り、列車が終着駅に着いた。そこがレーワルデン(Leeuwarden)だった。時計はすでに午前2時を回っていた。

とりあえず、駅を出て数件ホテルを当たってみたが高い。数時間寝るだけではもったいない。そこで、駅に戻り始発を待つことにした。とは言っても、駅はホームの上に申し訳程度に屋根があるだけの吹きっ晒しだ。9月の末とは言え、夜はかなり冷え込む。ジーンズの上下という出で立ちでは芯から冷えてしまうので、何とか風が防げる場所はないかと探したら、駅舎の入口が1メートルばかりへこんでいる。高さが2.5メートル、幅はちょうど両開きのドアの幅で2メートル強だ。そんなわずかなへこみでも大分違う。とりあえず、そこに入って幅1メートルほどの側壁にへばり付いて立っていた。頭上に蛍光灯があるのだが、その仄な暖気さえありがたい。

そうこうしているうちに暗い中にシルエットがこちらに移動してくるのが見えた。近くまで来ると、どうもホームレスらしい出で立ちの初老の男性だ。背中に大きなずだ袋を背負っている。やはり彼も寒いらしく、私の向かい側、つまり入口の逆サイドに私と対面するかたちで立った。そして私と同じように手をこすったり膝をさすったりしている。

1時間ほど経ったころ、どちらからともなく話はじめた。彼のオランダ語に私がドイツ語で応えたのか、私がドイツ語で話しかけたのが切っ掛けだったのかは忘れたが、おたがい拙いドイツ語で会話した。ちなみに私はその数週間前までデュッセルドルフ大学の夏期ドイツ語セミナーに3週間通っていたので、今よりは少しドイツ語ができた。彼のドイツ語は片言だったが、私にはむしろその方が分かり易かった。

ぽつぽつしゃべりはじめた彼の話は、最初は愚痴だった。どうも公園で寝ているところを警察に追い出されたらしい。他の街ではこんなことはない、ここの警察はひどい、としきりにぼやいていた。彼は昼間はタウン誌を配って食い扶持を稼いでいるらしいが、夜は公園で寝泊まりしているらしい。話はだんだん身の上話に及び、別れた妻と二人の子供がいるが長年会っていない、というような話を聞いた。あとはあまり覚えていないが、日本についての話などもしたと思う。

彼が話をしながら足下ののずだ袋から布にくるんで巻いたものを出し、自慢げに見せてくれたのはナイフのコレクションだった。見ず知らずの男に真夜中にナイフを見せられると普通は恐怖感を抱くだろうが、その時は不思議と怖いとは思わなかった。10本ほどもあっただろうか、並べられたナイフは装飾的な模様が付いた見事なものだった。

そうこうしているうちに空が白みはじめ、午後6時前に駅舎の扉が開いたので、我々は中に入り暖を取った。フローニンゲン方面行きの始発まではまだ少しあったので、私は床に座り、私の向かい側の扉の脇に彼は寝そべった。しばらくして二人の駅員が入ってくると、いかにも迷惑そうに寝入っている彼を見下ろして舌打ちをした。私は少し心が痛んだ。3時間ほどのやりとりだったが、何か親しみを感じていた。そうこうしているうちにフローニンゲン行きの列車が入ってきたので、私は彼の顔をもう一度見てから駅舎を出た。

・・・というような思い出が瞬間に蘇ってきたのだ。

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ところで、1年前の今日はニューヨークで写真を撮っていた。ハードだったけど楽しい旅だった。1年前に撮った写真は先日の個展で展示したこの写真だ。

今日は、すこ〜しゆったりと過ごさせていただいた。
感謝、感謝!!