12月11日(日)晴れ

午前中はちょっとした用で名古屋へ。

お昼少し前に名古屋外国語大学に向かった。今日はここで「甦るショスタコーヴィチ」というタイトルでのシンポジウムとコンサートが開催された。
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亀山郁夫学長をはじめ、ロシアの専門家の方々がパネリストとなり、様々な角度から光を当て、ショスタコーヴィチの姿を鮮やかに甦らせた。

スターリン独裁体制の下、表現行為自体が命懸けであった頃、時には体制に迎合するそぶりを見せつつ自己の世界を追求した、嘗てなかったタイプの芸術家としてのショスタコーヴィチは、それゆえ、非常に興味深い存在だと言える。

死と常に向かい合わなければならない状況下での創作活動は、如何に言いたいことを「裏の意味」として埋め込むかという作業と対になっていた訳だが、その結果生まれたある意味「特異な」表現が普遍性を持たないかと言えば、私はそうは思わない。

死と常に向かい合うという意味では、誤解を恐れずに言うと、例えば、ブルックナーのような宗教的意識の高い作曲家も、強いられたわけではないが、常に死を意識しながら創作していたのではないかと思う。

そのブルックナーの音楽にも、非常に特異なフレーズが少なからず出てくるように思う。そこに彼の世界観から来るメッセージが込められているような気がするのだが、後期の交響曲になるほど、さらに切羽詰まったものになってくるように思われる。迫り来る死をどう捉えるのか、どのように受け入れるのかという苦悩が窺われるような気がするのだ。

交響曲作曲家としての両者の最後の交響曲は、私にはまさにこの世への別れの音楽ではないかと思うのだが、特に最終楽章は、表現こそ全く異なるものの、生への別れの音楽として深く胸を打つ。

指揮者のクルト・ザンデルリンクが交響曲第15番第4楽章の終結部のリズムを「滴り落ちる点滴の音」に喩えたということを何かで読んだことがあるが、この打楽器のリズムのきざみは私には鼓動のように感じられる。それが一瞬高まった後に息を引き取るように音楽が終わるのだ。

ブルックナーの交響曲第9番の、煩悩から解き放たれて昇華するような”死”とは大きく異なるが、ショスタコーヴィチの交響曲第15番は、死と隣り合って生きてきた交響曲作曲家としての最後の”死への向かい方”かなと思う。そして、宗教的世界観に満ちたブルックナーの音楽が今日でも世界中で人々の心に大きな感動を与えるように、ショスタコーヴィチの音楽は、これからも普遍性を持ち続けてゆくだろうと私は信じる(ちょっと気持ちが入りすぎているかもしれないが… ) 。

いずれにせよ、音楽表現の極北と言っても良い程の突き詰められた表現が、非常に個人的な思いと絡み合って、正に他に例を見ない音楽世界を紡ぎ出した稀有な作曲家としてのショスタコーヴィチへの興味は尽きない。

まだまだショスタコーヴィチに関しては知らないことも多くあり、今回のシンポジウムで様々な新たな視点を与えられたことは幸いだった。

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シンポジウムの後はチェロの野村友紀氏とピアノの山下勝氏によるコンサートがあった。

ショスタコーヴィチのチェロソナタの素晴らしい音楽を聴かせていただいたあと、夕暮れの中を幸せな気持ちで帰路に就いた。