先々週の日曜日、ラジオ番組で松尾貴史さんがこのようなことを話していた。
彼が高校生の頃、街で落語を聞いた帰り、午後9時半頃に神戸の「さんちか(三宮の地下街)」を歩いていたら補導員に呼び止められた。「今ごろ何をしているのか」と問われた松尾さんが「落語を聞きにいった帰りだ」と答えると「そんなもんあるかぁ!」との一言で否定されたというのだ。
事情を聴いて、気をつけて帰るように諭すならともかく、頭ごなしの否定は、その大人の想像力の欠如以外の何物でもない
なんとも「痛ましい」話だ。せっかく落語を楽しみ、名人藝の余韻に浸りながら帰宅の途に就いていた若者の心を傷つけた一言、大人の思い込みから発せられたその一言が、大げさかもしれないが、私には暴力的に感じられた。
そして、この話を聞いていて思い出した私自身の体験がある。
私が子どもの頃は街のあちこちで普請があり、また道路工事などの公共工事が盛んに行われていた時代だった。
非常に好奇心旺盛な子どもだった私は、そんな場にいつも居て、作業の細部まで逃すまいと食い入るように見入っていた。当然「邪魔だ!」と怒られるのが常であったが、それでも怒られない程度の距離を保ちながらしつこく観察していた。
小学校3年生の頃だったと思うが、自宅の普請があり、それはまさにこの世の天国だった。大工さんが息を吹きかけながら”おが屑”を吹き飛ばしつつ鋸をひく様子や、臍(ほぞ)を切るときの鑿(のみ)の使い方などを克明に観察した。
柱が立ってゆき、屋根の桟が作られてゆく過程も克明に見た。壁土の練り方や瓦の葺き方などありとあらゆる過程が鮮明な画像として脳に刻まれていった。
その年の夏休みの工作に、私は二階建ての家の模型を作った。角材で組み立てたもので、壁は作らず全体の構造がハッキリと見えるように作った。
自分でも会心の出来で、家族にも褒められ有頂天になった。
そして夏休み明けに学校に持っていった。
大きなものだったので職員室に直接持参したところ、担任の先生は感心し褒めてくれた。
そのとき、担任の横に居た一人の教員が「小林くん、それひとりで作ったの?」と聞いてきた。「はい」と答えると、その先生は「そんなの親が作ったのに決まってる!」と言ったのだ。
私がいくら「自分ひとりで作った」と言っても、彼女は薄ら笑いを浮かべながら「嘘だ」と言い放ち、まわりの先生方のだれもがそれに異を唱えなかった。
ラジオを聴いていてその時の情景が鮮明な映像として蘇ってきた。先生の名前は忘れたが、その時の表情ははっきりと目に浮かんできた。実に悲しい思い出だ。
あれがなければ大工さんになっていたかどうかは判らないが、本当にやるせない気持ちになった。その後、家の模型を作った記憶は無い。
教育に携わる者として時に重責に押しつぶされそうになる。
学生のちょっとした可能性にも敏感であること、そして、見つけ出した才能を最大限に引き出すこと、さらに学生自身が自分の能力に気付き、前向きの気持ちを持ち続けられるような流れを作ることを心掛けているが、「本当に出来ているのか」と自問することが多々ある。
他方「やる気」を削ぐことに繋がらないよう、言葉には注意深くあらねばならないといつも自分に言い聞かせている。
教育者は人の人生を左右する立場にあることを肝に銘じなければならないと思う。
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さて、今日は朝8時半に近所の小牧市立光ヶ丘小学校へ。
この小学校の評議員をしているので、色んな機会にお呼びがかかる。
今日は授業参観。
幾つかの授業を覗いたが、生徒が机を並べて一様に黒板の方を向いて座っていた昔とは随分違っていて、クラスによって違ったレイアウトになっている。
今日は主に廊下の絵画や図工の展示を中心に見て回った。
イラストと文章で各自が作る野外実習新聞や、絵の具による抽象表現”心のもよう”など、色々な工夫が凝らされていて見ていて楽しかった。
生徒がわくわくしながら図工に励んでいる姿が目に浮かぶ。感性豊かな人に育って欲しいと心から思う。
芸術教育が疎かにされがちな昨今、あらためて”人間力”を育むために、また、将来の国際人を育成するために芸術教育がいかに大切かということ気がつかなければならない時期に来ているのではないだろうか。
芸術に理解のない平板な人間が、さらに理解のない人間を生み出してゆくサイクルに陥ることは日本の将来に関わる一大事だと考える。どうかそうならないようにしてもらいたいものだ。
遅めの午後から大学へ。
展覧会のための準備がまだまだ整っていない。今日はキャプションや解説文を作成し、午後9時半に帰宅した。
つづきは明日のココロだ!