今日はお昼過ぎに大学へ。
学長室で書類チェックを行い、名古屋へ。
画廊やアップルストアなどを経て愛知芸術劇場コンサートホールへ向かった。
尾高忠明さん指揮の名古屋フィルハーモニー交響楽団の演奏会。今日の演目はリヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」とブルックナーの交響曲第9番。
メタモルフォーゼンはそれほど聞き込んだ曲ではないし、実演は初めてだ。しかし、これが非常に面白い。敢えて”面白い”と表現したのは(音楽的にも素晴らしいのだが)視覚的に面白いのだ。
今回の座席はオーケストラの背面、指揮者と真正面で向き合う位置だったのだが、指揮者の指示とその都度”稼働”する奏者(一人であったり複数であったり)の関係が音の面でも視覚的にも大変興味深かった。
この音楽はいわゆる弦5部(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)のために書かれているのだが、通常の弦5部ではなく、基本的に23名の奏者を独立して扱っている。
時には一人、時には複数の奏者で奏でられるアンサンブルは極めて精緻で、きめ細かく複雑に織り込まれた織物のようだ。
レコードやCDで聴いていたときにはよく判らなかったが、実演でしかも指揮者と相対する位置で見た(聴いた)ことで非常によく理解できた。
指揮者の指示が行くとその走者の身体が波打ち始める。それが時としては各パート一人だったり、複数だったり。そして、それがあちこちで同時並行的に起こったりする。ある意味、目と耳で音楽を堪能した。
演奏も素晴らしく、本当によい体験だった。
ブルックナーの交響曲第9番は私が最も心酔する音楽のひとつで、レコードやCDでもよく聴き込んだ。特筆すべきは第3楽章で、ある意味”音楽を越えた音楽”と言っても良いように思われる。
ブルックナーは第4楽章のスケッチを残して死去したため、この第3楽章が彼の完成させた最後の音楽になった訳だが、死を強く意識していたことがひしひしと伝わってくる。”死”と言っても、それは悲劇的なものでは全くなく、魂の浄化の過程を音楽にしているように思われる。
つまりあらゆる煩悩に苛まれながらもそれを打ち払い、裁ち切り、魂が”無”に近づいてゆき、”私”でも”誰”でも”何”でもないものへと移り変わりながら、次々と新たな地平が開けてゆく、奇跡的に素晴らしい音楽だと思う。
第3楽章は聴く度に新たな発見があるのだが、今回聴いていて”諦念”という言葉が浮かんできた。厳密な言葉の定義は分からないが、諦念には”悟る”という意味と”諦める”という意味があるようだ。つまり”諦める”から”悟る”ことが出来るということかと思う。
生きているということは必然的に他との繋がりが生じ、死は他との繋がりが無くなることと言える。別の見方をすれば、”個”としてあるから他との繋がり(疎通)を必要とするが、他との区別が無くなれば、既に疎通の必要は無くなる。
宇宙に全く均質な状態があり得るのかどうか分からないが、均質な状態に向かう方向性が”死”であり、密度に偏りが生じ均一では無くなることが”個”とそれ以外の”他”を生じさせる”生”の方向性であるとも言えるように思うが、この両者は常に連関しているようにも思う。
ブルックナーの交響曲第9番の第3楽章を聴いていると、”個”から(すべての区別が無くなり)”個”が無くなる過程を物語っているように思われる。そして、その流れに対する(人間的な)様々な迷いが生じては消えつつ、ホルンに弦が絡む、安らぎの光に包まれたような集結(むしろ永遠に続くような)へと繋がってゆく。つまり、すべてを断ち切り死を迎える。
この人間的な迷いの中から”諦念”が生まれるのだが、それは(他者への愛も含めた)あらゆる疎通を絶つことに繋がり、それが”死”を受け入れていくことなのだ、ということが身に染みて感じられる。
(第4楽章の未完を惜しむ声もあるが、一方ではこれ以上付け足すことが不可能な領域に達してしまっているのかもしれない)
マーラーの音楽にも”諦念”は感じられるが、ブルックナーと比較すると、かなり”現世的”な諦念のように感じられる。
さて、演奏は大仰さの全くない引き締まったもので、音楽として非常に充実していた。コールス版ということだが、正直、聴いているだけではどこがノヴァーク版と異なるのかよく判らなかった。
聴いていて(見ていて)興味深かったのは、オケの背後の席だったので、コンサートマスターの後藤龍伸さんが、指揮者の尾高忠明さんの身振りを見ながら身体の動きと目線で他の奏者に指示を送っていたこと。特に、木管が少しずれを生じかけると直ぐに眼と頭の動きでタイミングを取っていたことが興味深かった。
当然のことだが、聴いている方は音楽に酔いしれていても、演奏している方は常にクールに音楽を組み立てていることがよく判った。特にコンサートマスターは指揮者の補佐と自らの演奏、時にはソロが入ることもあるので、大変な役割だとあらためて思った。
遙か昔の話、1979年にベルリンのフィルハーモニーでオケの背後の席に座ったことがあるが、オケとの境目がほとんど無く、ティンパニの直ぐ後ろでオケの一員になったように感じた。指揮のカール・ベームとの距離も近く感じられ、表情が逐一分かった。ベームがティンパニのテーリヒェンにしきりに眼で合図を送っている様子、また、トランペットの一人の出が僅かに早かった時に射すような鋭い視線を送っていたこと、今もその光景が鮮やかに目に浮かぶ。
正直なところ、音楽にどっぷり浸かるのはオケの正面の席の方が良いと思う。ただ、背後の席の面白さに一度はまると病みつきになる。しかも、安い!!
終演後、名古屋音大の高橋学長が同じコンサートを聴きに来られていたので、ご一緒に食事。ほんの軽く飲んで帰宅。いつもなら、良い音楽の後に美味しいお酒というところだが、明朝の起床時間(午前5時)を考えて、早めに帰宅した。