今日は戦後70年の終戦の日。
私は戦後10年経ってから生まれたので、戦争を直接経験しているわけではないが、両親や祖父母から聞いた戦争の話は今でも鮮やかに記憶している。
兵士として戦争を経験した祖父や父とは別に、母や祖母の話は戦場の話ではないが、街が地獄のような状況となり、その中を生き延びてきた、まさに死と紙一重の状況で戦火をかいくぐってきた話だった。
母は私が戦争映画を観たり戦争マンガを読むことさえ快く思っていなかったが、それほど身に染みて戦争を憎んでいた。戦争は前線だけで起こることではない。前線も後方も無く、国全体が戦場となることを私たちは忘れてはならない。戦争という言葉にリアリティが無くなってゆくことは本当に恐ろしいことだ。
さて、今日は生まれ育った神戸で、午前中に友人の家を訪ねたあと、近所をブラブラと歩いてみた。天気は良いがさほど暑くなく、風が心地よい。
お世話になった須磨幼稚園。建物は全く変わってしまっているが、小さい頃はこの坂がすごく急に感じられた。
須磨寺の近くにある”顔はめ看板”はさすが須磨だけあって「源平合戦」に由来するもの。
むかし、祖母から聞いた話では、弘法大師が地面に杖を差したところ、この水が湧き出たとか。この種の言い伝えは各地にあるようだ。
須磨寺の商店街も今は少し寂しい感じだが、かつては賑わいがあった。
山陽電車が通る須磨寺駅の踏切。この電車で一駅東の”月見山駅”から高校へ通った。
離宮道を海の方へ下って行くと私が通った西須磨小学校がある。非常に歴史の古い学校だ。もちろん、私が通っていた頃と建物は全く違う。
この床屋さんは子供のころお世話になっていた。小学校低学年のころ、姉にそそのかされて、当時流行っていたGIカットにしてもらったことがあった。
このあたりにはかつて狭い路地が縦横に走っており、この迷路のような道を歩くのが好きだったのだが、震災以降すっかり街が変わってしまった。路地の奥には建築法上住宅が建てられなくなり、未だに空き地が点在する。
震災後に建てられた特色のない建物ばかりになってしまった風景は、私にとっては全く知らない街のように見えたが、自宅への帰途、高校時代の同期生に「小林くん!」と呼び止められ、ジワーッと”地元感”が湧いてきた。