4月20日(土)曇り ときどき 小雨

朝、9時過ぎに大学へ。
書類に押印するなどの急ぎの仕事を終え、愛知県陶磁資料館(6月1日からは愛知県陶磁美術館に名称変更)へ。今日は「茶人の遊び心 形物香合 番付の世界」の開会式・内覧会だ。
土曜日の午前、ゆったりと香合を見て楽しむことができた。

陶磁資料館は小高い丘に位置し、眺めが良い。
遠くにデジタル放送の電波塔が見える。

足下に可愛い紫の花が。ヒメスミレだ。

帰宅して、録画してあった「よしもと新喜劇」を見て、久々にゆったりと過ごした。

さて、昨日のことだが、桃花台から名古屋に向かうバス車中で、先日(4月16日)のブログで書いたブラームスの交響曲第4番の続き(第2楽章から)を聴いた。チェリビダッケ指揮のミュンヘンフィル(1986年東京文化会館でのライブ録音)だ。
すこし、チェリビダッケについて書いてみよう。

音楽は、本来、演奏当日その場でしか成立し得ないもので、録音を後で聴くことは、ある意味、缶詰で元の料理を想像するようなものだが、特にチェリビダッケの演奏では場所性、一回性という性格が強いので、極端な言い方をすると、録音では、演奏の抜け殻から中身を想像するに等しいと言えるかもしれない。
特に晩年の演奏では、聴き流していては単に「極端にテンポの遅い異形の音楽」のように聞こえてしまうが、できるだけ良い再生装置で、その時その場所で聴いているという意識で聴くと、まったく他で経験できないような特別な音楽が立ち上がることとなる。
この日は、バスの車中でイヤフォンで聴いていたので、条件は非常に悪かったのだが、聴いている内に自然に気持ちが入り、音楽の流れと気持ちがシンクロした。
第4楽章の終わり間際に名鉄バスセンターに着いたが、イヤフォンを外すことができず、そのまま降りて最後まで聞き続けた。ちょっと涙が出そうだった。
チェリビダッケの演奏をライブで聴けなかったことは私にとって非常に大きな損失だった。

セルジュ・チェリビダッケ(1912 – 1996)はルーマニア生まれでドイツを中心に活動した指揮者だ。
私がチェリビダッケという名前を初めて見たのは1970年代初め頃の雑誌「レコード芸術」の記事だった。インタビューの中で「私の前世は日本人だった」と語るなど、かなりユニークなお方だという印象があった(彼は禅に傾倒していた)。
その記事は、ベルリンフィルのシェフはカラヤンではなく本来は彼になるはずであった、などという内容で、幻のカリスマ指揮者とのイメージを煽るようなところがあった。
その後、シュトゥットガルト放送交響楽団のライブ演奏がNHK – FMで放送される機会が多くなり。ブルックナーの後期の交響曲の非常に美しく深い響きの演奏を何度か聴いたことがある。
当時のシュトゥットガルト放送交響楽団のライブ録音は非常に音が良い上に、音場がリアルで、部屋を暗くして目をつむって聴いていると、あたかも演奏会場にいるような感じになった。
この時期の演奏はドイツグラモフォンからCDとして発売されているが、私が当時聴いて感動した演奏とは残念ながら別の録音だ。シュトゥットガルト時代にもかなり演奏スタイルの変遷があったのだろう。

その後、ドイツ留学中にラジオで聴いた「こうもり序曲」があまりにもスローテンポで聴くに堪えず、その後、チェリビダッケを聴く気が全く無くなったことが私にとって取り返しのつかない不幸だった(チェリビダッケの演奏は悪い音で聴くと聴くに堪えないことが多い)。

チェリビダッケは録音を嫌い、生前はレコードやCDはほとんど出ていなかったが、ラジオでの放送は結構耳にすることが多かった(このあたりは首尾一貫していないが…)。
発言の中でも「響き」を最重要と考え、録音したホールと同じ条件で再生されることが不可能である以上はレコードやCDを出さない、という姿勢を崩さなかったが、没後発売されたCDから、逆に彼の考え方が想像できるのは皮肉なことかもしれない。

もし、時計の針を戻せるのなら、ミュンヘンで1年くらい滞在し、できる限り彼のコンサートに通いたかった。


ウニくんおやすみ!