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卒業生紹介

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水溜あいまい子先生


Profile

水溜あいまい子先生

水溜 あいまい子
映像文学領域(旧 マンガコース)卒業

七色パレット

高校では、美術や絵を勉強していたのでしょうか?

はい。普通科ではなく、美術系の専門学校のようなところに通っていました。国語や数学と同じようにマンガやカラーイラストを描いて提出する授業がある高校で、希望者を募って夏休み中に東京研修へ行き、マンガ作品を編集部に持ち込みすることもありました。その時初めて担当さんに就いていただけたので、そこから本格的にマンガ家に向け頑張ろうと思い始めました。とは言っても、マンガ家になる為のステップについて、高校まではあまりわかっていませんでした。

なぜ名古屋造形を選んだのですか?

担当さんが就くところまでは高校までの私の力で出来たので、これから大学に進もうと進路を検討する際に、美術やマンガについて勉強していくべきなのか、それとも他に興味のある勉強をしつつ個人でマンガを描いていくのか、迷いました。作風からも分かってしまうと思うのですが、私、心理学にも興味があって。どちらが自分にとって一番良い選択肢なのか友人や家族に相談した結果、芸術を勉強した方が良いんじゃないかという結論に至り、名古屋造形は実家から近く、今までもオープンキャンパスに伺っていて馴染みがある大学だったこともあり、進学を決めました。
ですがその後、今度はマンガを学ぶべきか、コンテンポラリーアートなど他の表現を学ぶべきかまた迷ってしまって…(笑)考えあぐねた結果、やはりマンガに向き合い続けようと、映像文学領域(旧 マンガコース)を選びました。

マンガ家になろうと思ったきっかけはありますか?

実は、明確なきっかけは無いんです。小学校3年生の時、そこまでマンガを読んだことないのに、マンガ家になろう、私はマンガ家になるしかない、と本気で考えていました。強く憧れたのではなく「私にはマンガ家になるしかない」と、感じていたんです。

大学に入学し、最初に描いた作品について教えて下さい。

大学1年生の作品は、当時の担当さんから「とりあえず君の好きなように作ってみて!」と言われ制作し、賞に応募しました。60pというボリュームある内容を一人で黙々と描いたのですが、残念ながら選外で…。結果を見た時はすごく落ち込んだのですが、確かに今思うと拙い部分が多いと感じます。ですが、今の私には絶対描けない、その時の私にしか描けない作品でもあるので、そういう意味で価値ある作品ですね。

選外となった後、デビューまで努力したことは何ですか?

少なくとも、選外であってもその後ずっと描き続けていたので、画力は向上できたのかなと思います。そんな中で作品の軸となるモノが私の中にずっと変わらず存在していることに気付き、そういった軸となるモノ…思っていること、考えていることを、各登場人物の心境に投射して作品を作っていくという創作方法に落ち着きました。今回ダメだったからとその軸を否定し変えるのではなく、また違う角度から私の軸を見つめ続けています。

初めて掲載された作品『トランキライズ』はどのように生まれたのですか?

ヤングジャンプの出張編集部が学内で開催されることになり、それまでまったく読んだことがなかったのですが、自分の志望しているジャンルが同じ青年誌だったこともあり先生に勧められ参加しました。その時に来られた方に先程お話した1年生での選外作品を見せたら、とても褒めて下さったんです。「君の良さを残しながら勉強しもっと新しいものを生み出していけば、デビューできるよ。」とアドバイスを頂け、こうやって応援して下さる方が居るのならば、この人の為にもまた新しいマンガを描いていこうと思いました。その方が今の担当さんです。それから、最初の2017年の4月発売、デビュー作になるトランキライズが掲載されました。

学校の芸術祭でサークルを運営されていましたが、どのような経緯で始めたのですか?

『左心房社』というサークルを立ち上げ、3年間芸術祭にてマンガ合同誌を制作、販売いたしました。以前から、ジャンルの異なる方々と作品を作ってみたいと思っていたんです。そうしたら、名古屋造形で色んなことを学ぶ友人たちに出逢えたので、この機会を逃したら私はもうやりたいことが出来ないだろうと思い、声を掛けさせていただきました。
普段はマンガではない物を描かれたり作られたりする人も参加しているんですよ。ブックデザインなどは、グラフィックを学んでいる同級生、合同誌の宣伝動画は動画制作や音楽制作を学ぶ同級生に声をかけお願い致しました。

『左心房社』は今後どうされるのですか?

今年度の芸術祭で一旦フィナーレとして幕を下ろしたのですが、卒業後、たとえ芸術祭に参加できないとしても、外部のコミックマーケットやコミティアなどの即売会に参加して何かしらの形で続けていけたらいいんじゃないかなと考えております。私がリーダーなのでどうしても私のスケジュール次第というところが強く、今はまだ具体的に断言できないのですが、このまま無くすということは、したくないですね。これまでのメンバーや新しいメンバーと相談していきたいです。

今後のマンガ制作はどのようにされていきますか?

よく先生方が言われるのですが、マンガ家って描くテーマが変わらない人が多いんですよね。その人の中に一本軸が通っていて、アプローチや手段が変わるだけでまったく新しい作品が生まれていく。私もそのタイプに当たるので、これからも同じように制作を続けていくのかなと思っています。
ですので、今後も連載を目指して担当さんとやりとりをしながらアシスタント業務の仕事をこなし、引き続きマンガを描いていく所存です。
あとは…家が近いので、へこんだ時はまた大学に遊びに来て、先生たちに慰めてもらいに伺おうと思います(笑)

後輩やマンガ家を目指す高校生にメッセージを!

先輩とか同級生とかと交流を深めて、仲良くすると良いんじゃないかな。マンガ家って、どうしても一人でやっていくイメージが強いと思うのですが、実際は人ありきの仕事なんです。読み手も描き手も、担当さんもアシスタントさんも、全て人間。その為、人と話す力は必ず必要になります、無理のない範囲でかまわないので、先生や同級生、先輩後輩と交流して、コミュニケーションの面も努力してみると良いと思います。
あとは…健康な自己顕示欲を持ってほしいです(笑)「恥ずかしいから見せられない。」というのは本当に勿体ないことで、作ったならば「出来たからみんな見て!」と積極的に思うべき。名古屋造形大学に来れば、周りはみんな同じ夢を見る仲間なので、褒めてくれたりアドバイスをくれたりする人が沢山います。そういう環境を、良い意味で最大限利用すべきです。