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卒業生紹介

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アーティスト 植松ゆりかさん


植松ゆりか

綿を抜いたぬいぐるみの毛皮を素材とし圧縮する作品や、陶磁器を用いた作品などを制作する。
2011年アーツ・チャレンジ2011,新進アーティストの発見inあいち(愛知芸術文化センター) ,五感でアート Part2(長野県信濃美術館)
2018年「PLAY vol.2-全ては遊びである⇄何ひとつ遊びではない」(高浜市やきものの里かわら美術館 愛知)
2019年 Solo Exhibition 「Cover the skin」(Golden child Cafe 名古屋),植松ゆりか個展「Harmageddon」(ギャラリーNUMO 名古屋),瀬戸現代美術展2019 (愛知県瀬戸市)

Webサイト

高校の頃について教えてください。

美術科の高校に通って、デッサンやデザインなどを勉強していました。高校卒業後も美術を勉強したかったんですけど、両親から大学進学を反対されていたため、色々と違う進路を考え、家具のリペア職人になろうと意思を固めました。誰もが使ったことがある身近なものを直せたりするのって楽しそうだな、椅子とか机とか作れたら何でもできそうだなって思ったんです。当時はとにかく早く家を出て、手に職を付け自分一人で生きていきたいと考えていました。

職人を目指すってすごいですね!その後、どうして名古屋造形大学に進学したのですか?

弟子入りは結局できなくて、大挫折し、泣きながら家に帰りました。
両親がさすがに同情して、「そこまでして美術に携わりたいなら、もう大学行っていいよ。」と言ってくれたんです。それで急遽、今から受けられる学校を探し、芸祭のオープンキャンパスで見学して工房も思ったよりたくさんあって色んな素材に挑戦できそう、と思ったのと学生の雰囲気がなんか合ってるかも~と思って。当時は名古屋造形大学が試験的に12月にAO入試を行っていたので受験しました。

どうして総合造形コース(現 美術表現領域)を選んだのですか?

元々彫刻をやりたかったのですが、その年だけ大学の都合で彫刻の募集がなかったんです(笑)大学の先生に相談したところ、総合造形コースだったら彫刻もできて更にもっと色々な素材を触れる授業があるということを教えてもらって、面白そうだったので選びました。

実際に入ってみてどうでしたか?

大学に入ってからはリペア職人になる目標はもう切り離し、美術を学ぼうと意識を変えました。総合造形コースで学べるジャンルは、簡単に言うと現代美術なんですけど、現代美術というものがどういうものなのかを知ったのは、それこそ受験の時が初めてでした。
授業内容は、本当に色んなことをしていたかな。一年生の最初は、木彫とか石彫とか、まず何を扱うかを決めた状態で授業が始まるんですけど、それ以降は様々な素材を触りつつ、自分に合っているものを自分たちで見つけていくスタイルでした。
例えば…でっかい10m×10mぐらいの折り紙でカニをつくるとかね(笑)一ヵ所も切らないでカニの脚を全部折る方法があって、その折り方でやると10mっていう大きい紙なのに、完成サイズは両腕に収まっちゃうの。そういう、なんかよくわかんないことばっかりしていたかな、今の自分でもよくわかんない(笑)そんな感じで、なんかやってみようっていう授業がたくさんありました。
3年生からゼミ制になり、とにかく自分が”本当に良い”と思う作品をいっぱいつくろうと、制作と展示を繰り返していました。だけど、納得いかないところがちょこちょこあって、点数付けるなら最高でも60点かなっていう作品が多かったです。

卒業後について教えてください。

卒業後すぐは名古屋造形大学の助手として2年間勤めていました。給料をもらいながらも作品制作が許される環境だったので、それはもう楽しかった(笑)
その後、3年めちゃくちゃ働いて5年働かないで制作をする計画を立てて、一般企業に就職しました。だけどね、仕事と政策活動の両立が難しくて。それで心身ともに疲れてしまって、「制作できない、お金もない、体力的にも限界!私何やってるんだろう…最悪だぁ。」ってなっちゃって、やーめた!って会社を離れました(笑)就職したのはあくまで制作費を稼ぐためで、作品をつくりたい気持ちが一番だから、仕事で疲れちゃったり精神的にまいっちゃったりしたら作品が作れないので、本末転倒なんだよね。

植松さんにとって、作品制作を行うことが最優先なんですね。その後、どのような経緯でタネリスタジオビルディングを始めたのでしょうか?

以前、会社に勤めていた頃、瀬戸物を取材させていただく機会があったんです。それで瀬戸物や陶器の世界を知ったら、制作活動の素材としても興味が湧いたので自分もやってみたいと思いました。それで瀬戸にある職業訓練校の存在を知り、陶芸を勉強することになったんです。
あとは、やっぱりアート作品って中々売れないものだから、それだけで食べていくのは難しい。でも制作は辞めたくない。そこで、アート作品とは別に陶器のアクセサリーや小物や食器のような、アート作品よりは売りやすいものづくりで生計を立てることができたらいいなと思ったんです。
なのでまず、アトリエ兼自宅を探すことにしました。瀬戸市役所の方に相談したら、ちょうど今度空き家を探すツアーをやるとのことで、とんとん拍子でそのツアーに参加することになりタネリの元になった建物を見つけました。
それで設楽陸さんらアーティスト仲間に「めっちゃいいとこあるよ!」と連絡し、みんなも「いいじゃんここ!やろやろ~!」って賛成してくれたので、一緒にタネリを始めた感じです。今は私だけが住んでいて、他のメンバーはアトリエや作業場として利用しています。

それにしても大きいビルですよね、改装は大変ではなかったですか?

そりゃあね、本当に大変でした。改装には1年かかっています。インフラも整ってなかったし、色んな所を壊したり作り直したり。今年で3年目なんですけど、水洗トイレが出来たのは本当にここ最近です(笑)でも何より、大家さんや市役所の方など、地元の方の支援や応援がなければ実現してないですね。それに集まってくれたメンバーのガッツ。結構めんどくさいこともいっぱいあるんですけど、なにより楽しいし面白いです。

普段のタネリはどんな感じですか?

今いるメンバーは、それぞれ得意不得意がいい感じに分かれていて、お互いどこかしらすごいなーって思う部分がある、そういう人たちが集まっています。
あとは、ちょうど瀬戸自体が盛り上がってきている時期なので、ゲストハウスとか居酒屋とかも近くにできたり、元々色んなジャンルの作家も多い。そんな地元の人もなんかやろうよって動き出してくれる環境が周りにあるのも良いですね。

植松さんといえば”ぬいぐるみ”を使った作品が印象的ですが、この作品はいつから始めたのですか?

大学生の頃に、素材として面白そうだなとぬいぐるみを使い始めました。言葉とかまだ形になっていない自分の作りたいものを、物理的に世の中に出現させるっていうことを続けて、流れに流れてここまで来た感じかな。ぬいぐるみは講評でも先生たちの反応が良くて、嬉しかった。それからずっと使い続けています。でも、ぬいぐるみだけじゃなくて他にも色々な素材を使ったりもしています。

目指している目標や夢はありますか?

できるだけ目の前のものに一生懸命になって、自分の中で”100点に近い作品を展示すること”かな。あんまり先のことは考えていないです。
タネリ始める前はね、悪い方向にすごいスピードで物事が動いちゃっていたんだけど、タネリ始めてからは面白い方向に転がっていくんだよね。こんなに環境の変化が激しいなら、考えすぎても仕方ないかなと思って。しかも根が心配性だから、考えすぎて不安なことがいっぱい浮かんでも嫌だし、それよりはできることをやってこうって。
でも、さすがにこの一年は予定を詰めすぎたので、来年以降は人に迷惑をかけないようには予定を組みたいです(笑)

美術を学ぶのに向いている人はどんな人ですか?

こういう異色な世界に飛び込んでいくのって勇気がいることだけど、好奇心が湧くかどうかとか、直感が働くかどうかとか、結局そこだよね。制作し続けるのは大変なのはわかっているんだけど、それでもやりたいって思うわけで。それってもう理屈じゃないよね。
私もたまに冷静になって、「何やってんだろ~」なんてこと思ったりするけど、そういう性分というか。一生懸命になれることがたまたまは美術だったわけで、そうやって美術に興味を持てる人が向いているんじゃないかな。

植松さんにとって、美術とはなんですか?

なんだろう。一言だと難しいけど、自分を支えるもの、なのかなと思ったりします。

最後に、後輩や高校生たちに、何かアドバイスはありますか?

利益とか利点とか優劣ばかりを考えるだけじゃつまんないから、思い切って何かしてみるのもいいんじゃないかな。
タネリなんてね、冷静に考えたら「バカじゃないの!?」って思っちゃうようなことをしてて。電気もガスも水道もない、こんなでかい建物借りちゃって、資本金とかもなくて、自分たちで作り直すなんて効率悪すぎってことぐらい頭ではわかってるんだけど、それよりも「面白そう!やってみたい!」っていう感情が止められなかった。
でも結果的に、ほんとうにたくさんの人たちが関わってくれて、新しい価値や環境が生まれて、今になって振り返ると、この状況は得になったと言えなくもない(笑)こんな風になるなんてちっとも想像していなかったけど、変に想像しすぎなかったからこそ、こうなった。何より、こういう止められないくらいハイな感情が湧いてきちゃう時が一番楽しいんじゃないかな。時にはバカになることも大切なのかもね。