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卒業生紹介

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アーティスト 鈴木優作さん(手羽先原人)


鈴木優作

1991年愛知県生まれ
陶芸作家。髪の毛を使った作品や手羽先の骨で服を作り、自ら着て「手羽先原人」となり、人々と接するパフォーマンスなどもおこなっている。

【個展】
2018年「Invisible man](YEBIS ART LABO/愛知)
【グループ展】
2016 「ファン・デ・ナゴヤ美術展2016」(愛知、市民矢田ギャラリー)
2017 「SKYOVER4」(愛知、アートラボあいち大津橋)
2018 「EMPOWERS」(愛知、東別院周辺)

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どうして美大へ進学したのですか?

高校の頃はデザイン科に在籍していました。そこでは色んな素材を学ぶ機会がありその中で出会ったのが陶芸で、他にやりたい事もその時は浮かばなかったし他に取り柄も無く漠然と陶芸作家なれば粘土を触る時間増えるし良いかなと思ったのがきっかけです。

なぜ陶芸が一番合っていると感じたのですか?

単純に触っていて落ち着くのと、しっくり来た!ってところもあるのですが、高校生の時に同級生からいじめを受けてて、作品を汚されたり制作の邪魔をされたり暴力を振るわれたり色々あったんです。その時は対抗する術も無く何も僕はできなくて、悔しいけど我慢して堪えながら日々を過ごしていました。そんな事ばっかりあるんで、必然的に何かを制作してないと自身を保てなくなってしまうほど追い込まれてました。
そんな中を救ってくれたのが粘土で、いくら破壊されても、何度でも再生もでき、焼いてしまえば何千年も残る。ある意味不死身で永遠の命を得られるような特徴に魅力と自身を重ね乗り越えらたんでその部分が大きいと思ってます。

大学ではどういうことをされていましたか?

最初の頃は、とにかく知識も技術も全くなかったんで毎日真面目に実技の授業受けてました。学年が上がるにつれ、先生に対する反抗心や陶芸で表現する事に対しての疑問などを持ち始め、授業をサボり図書館で海外作家の作品集を見てみたり、違う専攻の授業に参加してみたり、外部のアーティストからドローイングを教わったりしながら、陶芸以外の物を吸収し自身の表現に繋げようとしてました。
そんな中で生まれたのが今の陶芸のスタイルで、彼ら作品のおかげで僕は生きてここに存在できているので、その恩返しの代わりに今も制作してます。

まるで人のように作品を扱っているんですね。

作品は我が子だとは思っています。ですが会話ができないのが一番の問題ですね。どんな表情にして欲しいのか、どの表現方法で作って欲しいのか話してくれないから分からないんすよ。なんで、親としては老若男女に受け入れられやすく可愛らしいけど人間臭さも残るような表情になるよう意識しています。
作品に描かれている鱗のような集合体のドローイングは、あくまで主観なんですがゲームやマンガでたまに出てくる体を粉々にし何度も再生と復活を繰り返すキャラクター達からインスピレーションを受けており、我が子をより不死身にするために陶芸と組み合わせ作品化しています。
まあ実際は言葉が通じないんで、作品側からしたら嫌かもしれないけど…現段階ではこれが親としてしてあげられることかな、とは思ってます。

そんな思いがあったのですね。それから卒業後、どのように活動を続けていったのですか?

ざっくり言うと、卒業したての頃は多治見の陶芸作家さんの元で器制作を制作する仕事をしていて、そこを辞めてからはバイトしながら、伏見にあったAMRという共同アトリエを借り、制作したりゲストハウスに住んだり全然違う職に就職してみたりと、各地を転々としながら流れに流れ今いるタネリスタジオまで辿り着きました。
その間は制作に関しても様々な変化がある時期で、スランプも多く、それを乗り越えるために頭で絵を描いたり手羽先原人を生み出したり色々やってました。今ではそのお陰で沢山の人々ともお会いできましたし、展示にも声をかけていただけるようになり、本当に感謝しております。「とにかくやってみよう!」の精神で突っ走って、気づいたらここに居たって感じっすね。

鈴木さんといえば手羽先原人のイメージが強いのですが、このキャラクターはどのようにして出来上がったのですか?

2016年の1月に”ファン・デ・ナゴヤ”という美術展示の企画に参加する機会をいただいたのがきっかけでした。僕だけ展示の1ヶ月半前に出展が決まり、慌てて作品制作に取り掛かりました。
『新ナゴヤ島』というメインテーマだったんでとにかく名古屋らしさと島という要素を意識し、当時はキャリアも経験も全くなかったので、もう”瞬発力”と”インパクト”だけで押し切って生み出したのが”手羽先原人”です。パフォーマンスは、本来する予定なんてなかったんすけど、展示場所がどこになるかギリギリまで不明だったこともあって、”ナゴヤ島の原住民”として自ら作品となるしかなかったので、作品を着て会場を彷徨ってみた、という流れですね。
巷で「手羽先原人はやばいヤツ」だとかたまに噂されてるみたいなんすけど、実際そんな事ないし自分はまともな一般人なんでよろしくです(笑)

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最後に、作家やアーティストを目指す後輩たちにメッセージを!

僕自身が、アーティストですってしっかり言える様な立場だとはまだまだ思っていないので偉そうなことは言えないけど、根詰め過ぎずに、とりあえずなんでもやって挑戦し続けて経験値上げるしかないんじゃないかな?…って思うから、いっぱい遊びましょう!そんで作品も作りましょう!