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卒業生紹介

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画家 スエイシユミさん


Profile

スエイシユミさん

スエイシ ユミ
2015年 名古屋造形大学 日本画コース 卒業
2017年 名古屋造形大学 大学院 修了
2017-2020年 名古屋三越「絵画の波動-クラウンレヴォリューション-」出品
など

FabCafeNagoya(ヒサヤオオドオリパーク)に勤務しながら、地元中心にアートイベント企画や作家活動を行う。

Twitter / Instagram

どうして美大に進学したんですか?

高校は普通科で、弓道部に所属していました。思い出は部活オンリーってぐらい弓道に力を注いでいたこともあり、進学はするつもりではいたのですが、学びたいと思えるほど興味のある分野が見つかってなかったんです。
それでも、大学へ行かないといけないっていう義務感がぬぐえず、母親に相談したところ、「そんなにやりたいことが見つからないなら、行かなくていいよ。」と言われ、危機感を覚えました。そこから初めて「私が好きなものって何なんだろう?」と真剣に将来について考えるようになりました。
それで辿り着いたのが芸術です。元々何かを作ることや考えること、絵を描くことが好きだったので、それで何かできたらきっと楽しいだろうし、とにかく今までやったことがないことに挑戦してみたくて、美大を目指しました。

作品画像

受験勉強はどうしたんですか?

恥ずかしながら、高校2年生までほとんどデッサンをやっていないどころか、画材や教科書すら持っていませんでした。趣味で絵を描いてみたり、文化祭のポスターを描いたりということはしましたが、自慢できるほどの実力ではなかったです。中学では、美術のテストも教科書も無くて、コラージュ・スパッタリング・マーブリング、彫刻刀や電ノコなどの技法を実践的に習っていたんですけど、それでも急に「美術系大学に行きたい!」って言い出すとは思えない生活を送っていましたね。
美大という存在も3年生になってから知りました。私が美術を大学で学びたいと母親に相談した際に、画塾に通うように促してくれて。そこから受験対策の画塾に通い、慌ててデッサンの勉強を始めました。

なぜ本学を選んだのですか?

受験の決め手は、画塾の先生が名古屋造形大学の日本画の非常勤として勤務していたからです。その先生が勧めて下さり、先生の指導を信頼していたので、進学しようと思いました。

実際に入学して、どうでしたか?

私にとっては、来て大正解でした。
学力がどうとか学歴がどうとか、そういうしがらみを気にしなくて良くて、自分が自分のまま頑張ることを認めてくれるのが、名古屋造形大学の良さだと思います。今までだったら「何変なこと言ってんの?」と呆れられたことや、世間一般では無駄なものとして扱われてしまう物事であっても、気になるものであれば真剣に向き合い、作品として制作することができる。その寛大な捉え方が、自分の価値観と合っていました。
授業の中でも、特に作品講評会が楽しかったかな。人と話すのが単に好きってのもあると思いますが(笑)講評では、アウトプットとインプットが両方できるので、新しいものの見方をたくさん教えていただきました。
芸術をしている人たちって、口先だけじゃなくて実際に考えて行動している方々が多いので、そういう刺激的な方々が周りにいてくれる環境も良かったですね。芸術を学ぶことを選択した結果、自分の人生は大きく変わったなと思っています。

授業で印象に残っているエピソードはありますか?

学生の頃、あんまり高い画材が買えず、安いけど良いなと思うものを使っていたんです。それを見た、日本画の非常勤として勤務されていた久世直幸先生から「この画材は何?」と言われて。怒られるかな…と思いながらも「安いんですけど、綺麗だったから使ってみたんです。」と、素直に話してみたんですね。そうしたら「こんなものもあるんだね!昔の画家も、当時あったら絶対この素材を使いたいと思うだろうなぁ。新しい絵具や素材、たくさん使ってみていいよ。」と、柔軟に受け入れて下さったのが印象的でした。
こういう臨機応変な考え方って生きていく上でもとっても大切だと思うのですが、高校まではあんまり許されることがなかった。上手く言えないのですが、この先生の言葉をきっかけに自分の中に無意識にあった抑圧から解放されて、制作が自由にできるようになったんです。このままやりたいことをやっていけばいいんだ!って(笑)そこからは、砂とか粘土とか樹脂とか、なんでも気になるものは画材として使うようになり、表現の幅が広がりました。

作品画像

絵が好きになったきっかけはありますか?

幼少期の頃、ほぼ毎日郊外のおばあちゃんの家で過ごしていました。昔、おばあちゃんが文房具屋さんを営んでいた関係で、紙、ペン、鉛筆などの文房具がたくさんあり、それで落書きをしていたのが絵との最初の接点だと思います。
あとは、周辺がすごくのどかだったので、虫を採ってきたり、飼っていた犬とお散歩にでかけたり、自然と戯れていました。とにかく、毎日何かしらやることがあって面白かったんです。この頃の楽しい記憶が、間違いなく今の私自身をつくっていると思います。名古屋市生まれなのに「田舎っぽい」「無人島でも生きていけそう」とか言われるのもそのせいかも(笑)
その他には、幼稚園の中で行われていた造形教室に通ったり、小学生になってからは、東山動物園に行って生き物を描いたり。そうやって絵に関して楽しいと感じる経験が多くあったから、好きになったんだろうな。

卒業して、今はどういう活動をされていますか?

制作や展示の他にもアートイベント企画も行っています。一般層から表現の路に進んだ人間なので、できるだけ一般の人たちや身近な人たちに作品を観てもらいたくて、やりたいことに何でも挑戦している感じです。美術やアートと呼ばれるジャンルって、めちゃくちゃ楽しいのに壁をつくられがちなので、いつかその壁をぶっこわします(笑)
名古屋を中心にたくさん活動してますので、よろしければ一度展示に足を運んでいただければ幸いです!TwitterInstagramもやってるので、ぜひチェックお願いいたします。

豊川のレコードショップ LiE RECORDS にて開催した個展『飛び出して理性』 風景

作品のコンセプトなどはありますか?

ニュートラルの表現と称し、その考えの下、それぞれの展示ごとにテーマを定めて制作発表しています。前回の豊川 LiE RECORDSさんでの個展は"理性"をテーマに、その前の喫茶モーニングさんでの個展は"線"をテーマに掲げました。
根本にあるのが、人間も含む生物に対するの不安定さへの否定と肯定です。それらを繰り返すことで自身の考えの要を探り、生活の質を向上させるのが最大目標です。
芸術の魅力は、どれたけ本質を探っていくかどうかで磨かれると考えています。それは、作風や支持体、マテリアルなど、単に画面上の物質的なものに収まる話ではなく、展示を行う空間、人々、分野、常識、概念をも対象範囲。ですので、幅広い視野や多様な分野の横断、融合を試み、その都度自身の中でバランスを探っていく感じですね。
作品のビジュアルとしては、交じり合う、流れていくものを意識しています。活動は、ギャラリーや美術館だけではなく、飲食店や家具屋さん、レコードショップなど、これまで展示を行っていなかった一般的なお店、街中などでも発表をするよう心掛けています。

作品画像

大学の頃、もっとこうしたかったなっていうことはありますか?

他大学の学生とか、精力的に活動している作家さんとか、簡単に仲良くなれない人たちのところに自ら出向いて交流することをもっと頑張りたかったです。自分の制作とか展示とかバイトとか遊ぶこととかで手いっぱいで。今から巻き返すつもりです。

最後に、後輩たちにメッセージやアドバイスを!

芸術は、誰にでもひらかれているもの。エンターテインメントとも言える娯楽であり、学びでもある。だからこそ、芸術に興味がある人ってもっとたくさんいるんじゃないかな。
けれども、継続できる人が圧倒的に少ないんですよね。面白いことは世の中にたくさんあるし、わざわざ自分がやる必要がないとも思うし、大変な業界だとかお金にならないから生活できないとか、めんどくさい関係性もあるしね(笑)とにかく、社会からは一般的なレールに沿っていない界隈に思われがち。そんな場所に居続けることは、正直どれだけメンタルが強くてもしんどいことが多いです。最初に「美術の路に進みたい!」と話した時は、周りの大人にめちゃくちゃ呆れられたし、馬鹿にされました。
でも、そうやって何か言ってくる人なんて、退屈しているだけなんですよ。やることがある人は周りなんて気にしないもん(笑)逆に言うと、相手のことを考えて真摯にアドバイスをくれる人は、とても少なく貴重です。そんな思いもあり、自分にとっての支えになる素敵な方々との関係性を大切にしています。
それに、本当はそういう面白いことを楽しむ余裕がある生活を送ることが、個々の為にも社会の為にも良いと思うんです。私は地位のある人物じゃないですが、それでも楽しく生活が出来ています。制作に関しても、ちょっと休むことはあるかもしれないけど、絶対に辞めたくない。
そんな感じで私も楽しみ続けるので、みんなも楽しんでいこうね!