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卒業生紹介

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アーティスト 水戸部七絵さん


水戸部七絵

Webサイト

神奈川県生まれ。
2014年のアメリカでの滞在制作をきっかけに「DEPTH」シリーズを発表
アノニマス(匿名)の顔を通じて絵画の本質を追求

主な個展
2016年「APMoA, ARCH vol.18 DEPTH – Dynamite Pigment -」(愛知県美術館)、「水戸部七絵 展」(gallery21yo-j)
2014年「ABRAHAM」(LOOP HOLE)

主なグループ展
2019年「高橋コレクション展 アートのふるさと」(鶴岡アートフォーラム)
2018年「高橋コレクション 顔と抽象――清春白樺美術館コレクションとともに」(清春白樺美術館)
2017年「アブラカダブラ絵画展」(市原湖畔美術館)、「千一億光年トンネル」 (ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション)

どのような作品を制作していますか?

画家として油絵を描いています。「立体的作品?」と聞かれることもありますが、絵画を制作しています。私の場合、どうしてもピックアップされやすいのが顔をモチーフにした厚塗りの作品なので、そのイメージが強く付いてしまっていると思うのですが、フラット(平坦)な作品や静物画、風景画など、幅広く描いています。

高校では絵を習っていましたか?

高校自体は横浜の英語科に通っていました。ホームステイなど国際交流に力を入れている高校です。絵は画塾で教わっていました。高校2年生から本格的に始め、基礎が終わってそのあとすぐ油絵を選択しました。油絵具を一式買い揃えたのもその時期です。

いつから画家になろうと思っていたのですか?

物心ついた頃から、画家になるって決めていたんです(笑)やりたいことに対してオリンピック選手みたいに突き詰める家庭で、やるならば、その目標に向かい続ける。そういう方針で育ちました。
なので、マンガとか禁止だったんですよ。マンガの絵は、デザイン化、簡略化されている絵なので、私の目標としている画家にはマンガの絵は必要ないと、簡略化された絵を描いた途端、怒られましたね。本当に「プロとして画家になるため」の教育を受けていました。
両親とも教員で、おそらく自分がやりたかったことができなかったから、子供の目標に一生懸命になってくれたのでしょうね。びっくりされるかもしれないですが、同世代で画家を目指している人には、私と同じような環境で育った人が結構いるんです。私たちの祖父、祖母あたりは食べるのに困る時代、それで、親の代はその話を聞いて育ったので、生きる為に頑張っていた。だからこそ、子供たちには自由にさせたいと思っている方が多いのかな。今、ゆとり教育はダメだった、と叩かれていますけど、ゆとり教育自体の方針である「余った時間を使って自分が何をしたいか考える」という点はすごく良いと両親は考えていて、それをフル活用していたのが私の家庭です(笑)このあたり、言葉にしてしまうと堅いですけど…他に部活とかもやっていましたので、普通の学生生活も送っていますよ。

作品画像

名古屋造形大学はどうでしたか?

元々違う大学を目標としていたので、受験理由がアッサリしていますが…当時、東京の池袋で受験ができたので、他の大学と併願したんです。正直に言って、厳しい予備校に通っていたので、入学時の自分の理想とのギャップが激しかった。名古屋造形大学は、趣味の延長戦で絵を描いている人も、多浪生も、色んな人がいる学校なので、合わないなら辞めようかなと考えていました。
すると教授から「紹介したい人が居る」と言われ、当時洋画コース(現 美術表現領域)の非常勤講師を勤めていた長谷川繁先生とお会いすることとなり、先生のドローイングやポートフォリオなどを見せてもらったんです。先生の絵は、本当に素晴らしかった。初めて見るインパクトのある絵を描かれていて、心から感動しました。卒業した今でも師匠として慕っております。こういう先生もいらっしゃるなら、名古屋造形大学で頑張ってみようと思いました。
それで最初、長谷川先生に「大きい絵を描け」って言われたんです。受験で1日3枚ぐらい描いていた身からすると、出されている課題が画塾よりも簡単だったこともあり、先生の言葉に影響され、自主制作を精力的に頑張ることを決め、1年生の頃から居残りしてずーっと描いていましたね。まずはこの学内の教授の誰かしらに評価されるように、そして学内でトップを目指さないといけないかなって。後々考えると、そこまで気を張るところもなかったかも…とは思います(笑)

展示活動を在学時代から積極的に企画されていたとお聞きしましたが…?

そうですね、2年生の時に99人展、その後460人展を企画しています。都心の大学などに比べると、やはりコネクションが少ないので、自ら活動的にコミュニティを作っていかないといけないなと。愛知、金沢、東京の美大生は勿論、現役で活動しているアーティスト、普段は制作なんてしていないような美術館館長や学芸員やギャラリストなどの美術関係者に参加していただき、積極的に交流を持とうと考えていました。先ほど話したように、入学当初は意識に差がある人たちに少し不満な気持ちがあったのですが、2年生の後半で周りも自主制作を行うようになり、同級生たちがとても魅力的な絵を描いていることに気付きました。自分よりも天才なんじゃないか!?って(笑)
良い絵を描いている人がこの大学にもたくさんいる、それなら、みんなを誘って展示をやってみよう!と、展覧会を企画するようになったんです。今考えると、経験の少ない私達が出品作品の制限もなく、見ず知らずの人達を含めた大人数の展覧会は無茶苦茶だったと思いますが、同級生という仲間がいたから実現できたと強く思います。その後、ちゃんと展覧会の記録として図録を出版したものが大学にも保管されているので、ぜひご覧ください。

作品画像

作家になるために行った方が良い事はありますか?

作家活動を行うなら、ギャラリーやアーティストトークに伺うのは必要不可欠です。どこへ行くにしてもポートフォリオを持ってアピールすることが大切です。美術業界って不確かな世界で、単純に「売れるので良し」「いい作品を描けば良し」という世界ではありません。作品の良し悪しの評価は観ている人に左右されます。美術史も誰かの評価によってそれらが残っているわけです。それも100年、1000年先には存在しているかわかりませんが。遠回りでも、やりたい事を実現するにはどうしたらいいのか、常に考えて行動しなければいけないですね。あとは、環境がとても大切です。環境がちゃんとしている場所に身を置かないと、自由に活動するのが困難だからです。私の場合は現在千葉にアトリエを構えていて、定期的に国内外の展覧会は観に行くようにしています。また海外に渡航した際にはモチーフの取材や現地制作も行っています。例えば、アメリカの砂漠で野宿しながらドローイングを描いたり、無人島で絵を描いたり(笑)命がけの活動ですが、こういった経験も普段の制作に生きています。

学生の頃にやっておけば良かった!と思うことはありますか?

留学ですね。コマーシャルギャラリーなどで、経歴の一つとして留学経験を聞かれるので。名古屋造形大学は交換留学制度があり、単位をなるべく1・2年生のうちに沢山とっておいて利用しておけば良かったかなと。実技に重きを置きすぎて、基礎科目を疎かにしていたので本当に反省しています。卒業してから留学や長期のレジデンスに合格となると、人気の国ほど倍率が高く審査もとても厳しいので苦労すると思います。時間やお金さえあれば海外にはいつでもいけますが、アーティストの経験や経歴としても必要ですし、資金も出してくれる助成金団体もあるので、正式な形でいつか海外で活動したいと考えています。

APMoA Project, ARCH vol.18  「 DEPTH - Dynamite Pigment - 」 愛知県美術館

目標としていることは何ですか?またその為には、どのようなことを心掛けていますか?

良い絵を描き続けることです。また、自分が憧れる有名な画家みたいに多くの人に感動してもらうことです。その為には絵を描き続けるだけではなく、見せる場を持つこと、クオリティの高い展覧会をすること、国内だけでなく海外でも展覧会をすること、そして、私が死んでからも多くの人々に絵を観てもらえる様に美術館のコレクションに入ることです。私が小学生の頃、親に連れられ初めて上野の美術館へ行った記憶が今でも強烈に記憶に残っていて、その時に観たゴッホの油絵が輝いて見えました。子供ながらに何百年経ってもこうやって作品が残っているなんて究極に価値のある事だと思いました。自分が作品を残したいと思ったきっかけを忘れないでいることは大事だと思っています。最近は美術館での展覧会を経験して現実的な側面、資金繰りの大変さなど常に問題が発生しますが、困難でも楽しみ続ける精神も大事な心がけだと思っています。

強い意志が、水戸部さんの魅力の一つですね。普通の人であれば、多くの負担や費用がかかる時点で、目標を諦めてしまうと思います。

私も、お金がかかるから諦める、お金が足りないからやらない、ってことは無しにしようと。どうしてもやりたいのに個人の資金で賄えない費用が必要なら、それをいかにして集めればいいのか、或いはいかに目的を実現するかを考えることです。絵を描く時間が減るのは嫌だったので、極力アルバイトはせず、手当たり次第助成金に応募しました。それから絵の具さえあれば現金は必要なかったので、画材を安く買えないか企業や工場と交渉もしました。地道な活動ですが、こういった活動からも社会が見えてきます。今はネットで公募展や様々なプロジェクトの情報を収集することができますし、若手の作家を支援する団体も少なからずあります。また習慣的にSNSで作品を更新していれば、中には仕事に結びつけることもできる。どこもそうだと思いますけど、努力次第で、チャンスはありますよ。

作品画像

最後に、後輩に向けてメッセージを!

大変なことも多いですが、美術が好きって気持ちを大切に自身の個性をどんどん発揮していって欲しいと思っています。私はすごく不器用なタイプではありますが、そういうタイプも長所として活かせる業界だと思うので、私にとっては天職です(笑)自分の構想が作品や展覧会として実現した時の達成感もありますし、作家は自分の考えを自由に表現できるすばらしい職業だと思っています。正解のない道だからこそ、自分自身で思う存分試行錯誤したり、沢山作品を描いていってください。

水戸部さんと作品