11月20日(金)曇り のち 晴れ

朝、学長室で書類のチェック。
そして、大学院生のゼミ。

ゼミ終了後は学食へ。
IMG_8328

今日は日替わり丼。それに厚揚げ。
日替わり丼は”カリカリ豚のネギまみれ丼”。ほんとにカリカリだった。
IMG_8329

その後、同朋学園名古屋キャンパスへ。
会議、打ち合わせ、そして会議、さらに会議。

午後7時過ぎに名古屋キャンパスを出た。

プロコフィエフのピアノ作品「束の間の幻影」(Visions Fugitives)を聴きながら帰宅の途に就いたのだが、“Fugitive”というと「逃亡者」を思い出すのは我々の世代から上の人たちかもしれない。「リチャード・キンブル、職業医師。正しかるべき正義も時として盲しいることがある・・・」という矢島正明のナレーションは耳に焼き付いている。

TV番組はデヴィッド・ジャンセンが主役リチャード・キンブルを演じていたのだが、ハリソン・フォードが主役を演じた映画は1993年公開なので、こちらは少し若い世代にも知っている人が居るだろう。

話が最初から横道に逸れてしまったが、「束の間の幻影」(Visions Fugitives)はプロコフィエフのピアノ作品。タイトルはフランス語だが、英語のFugitiveと同じく、名詞として”逃亡者”、そして、形容詞として”はかない”、”束の間の”という意味がある。

短い曲ばかり20曲からなる曲集で、30秒程度の曲もあり、本当に束の間の夢のように過ぎてゆく美しい曲集だ。

このところ、急激にピアノ曲が耳に馴染むようになってきた。脳に新たな回路が出来、ピアノの音楽が理解できるようになってきたのかも知れない。もちろん、専門的な知識や経験はないので、奏法等については判らないが、何か音楽が”具体的な形を持って把握できる”ように思えるのだ。今までポロポロと水滴のように脳の表面を流れていた音の粒が、脳に染み込むようになってきたように感じられる。

ピアノ曲を聴くようになってきたと言っても、ほとんどベートーヴェンのピアノ・ソナタばかり聴いていたのだが、時折、ドビュッシーや、このプロコフィエフの小品などを聴くと、上品な砂糖菓子が、仄かに甘く口の中に広がるようでうっとりする。

自分はつくづくのめり込むタイプだと思うが、ピアノに興味を持ち始めると、とにかくピアノ曲ばかり聴いてしまうのだ。当面は自分の中でのピアノ・ブームが続きそうだ。