午前中は学長室で執務。
お昼は”とりから丼”
何故かこのごろ”とりから”ばっかのような気がする…
午後はアニメーションコース1年生の人体デッサン最終日。
長距離走を最後まで走りきった感じで”へとへと感”はあると思うが、一つの仕事を終えた充実感を皆の表情から感じる。
来週の金曜日には講評を予定している。
よく頑張ったね!?
用を済ましたあと、名古屋音楽大学の髙橋学長と一杯。
そして、またまたバスで帰宅。
難しい顔をしているのは、ちょっと酔いが回っているだけかも。
聴いているのはベートーヴェンのピアノソナタ第30番(シフのピアノ)。
しばらく前には「チェリビダッケとフルトヴェングラー(Lieber Herr Celibidache…)」クラウス ラング著、斎藤 純一郎、カールステン・井口俊子翻訳を寝る前に読んでいて、時々面白すぎて夜更かししてしまったが、今読んでいる「ピアニストが見たピアニスト:名演奏家の秘密とは」青柳いづみこ著も大変面白く、つい夜更かししてしまうことがある。
今まであまり聴かなかったピアノ曲をこのところ何故か良く聴くようになった。ピアノ音楽の面白さが本当に分かってきたように感じている。そうなると演奏家の解釈や演奏方法の違い、技術的な巧拙などが見えてきて(聞こえてきて)さらに面白くなると言う相乗作用が生じている。
この本で紹介されるリヒテル、ミケランジェリ、アルゲリッチ(今のところここまでしか読んでない)の生き方や考え方の違いが面白く、録音で残されている音楽がより興味深く聞こえる。
ピアノ曲は本当に美味しい!
振り返ってみると、恥ずかしい話だが、中学生や高校生の頃、1枚のレコードを買うのは大変なことだった。お昼の弁当を断り、パン代や学食代と称してお金をもらい”昼飯抜き”で貯めたお金で買うレコードなので、ピアニスト一人のレコードと百人以上の大オーケストラを巨匠指揮者が振ったレコードを比較すると、ついつい一人よりも大勢、そして、短時間より長時間のものを選ぶようになっていた。必然的に独奏曲は除外され(オペラなどの組み物もなかなか買えないので)交響曲になって行った。
中でも、マーラーやブルックナーなど(当時の流行でもあったが)大オーケストラに時々合唱が付いていて、しかも巨匠指揮者がおそ〜いテンポで演奏するレコードはありがたかった。ほとんど音楽的ではない話だが、(すべてその基準では無くとも)”大勢+長時間”を優先するバイアスがかかっていたことは否定できない。
この歳になって、やっとそこから解き放たれたのかな〜、と思うと少々情けないが、気が付いて良かったと思う。