朝9時前に大学へ、ちらっとオープンキャンパス前の様子を見てから東京へ向かった。
御徒町で降りてホテルに荷物を預け、まずは腹ごしらえ。
近くの飲み屋さんのランチでオムライス。昔ながらのオムライスで美味しかったが、僕的にはデミグラスソースであってほしい。
食事を終えて、上野公園に向かって歩く。
ABABではよく作品制作用の布を買った。健在はうれしい!
これ直訳すると「成人映画」死語だよね!?
ちなみにこの後の会で一緒になった某先生は高校時代ここに入り浸っていたとか…
私は行ったことありません。ホントだってば!!
でも、上野のこういうゴチャゴチャしたところも魅力ではある。
上野公園内に有名人の手形が。昔からあったようだが気がつかなかった。
私の手もそれほど大きい方ではないが、渥美清さんの手、意外と小さい。
美空ひばりさんの手はさらに小さい。子供の手みたいでかわいい!
上野動物園は土曜日とあって、けっこうな人出。
学生時代、夜の下校時にこの横を通ると、動物たちの悲しそうな叫びが聞こえていた。
都美館の横、ここで卒展や修了制作展を行った。この先に1970年東京ビエンナーレ来日時にリチャード・セラが埋めた鉄の輪があったが、今は多摩美の上野毛キャンパスに移設されているとか。
旧奏楽堂。昔は音楽学部の中にあった。私が入学したときは、ここで音楽学部の教員オケがモーツァルトの「皇帝ティートの慈悲」序曲を演奏してくれた。コンサートマスターは田中千香士さん..ではなく海野義男さんだったかな? 時期的にそうかも知れないが、記憶がはっきりしない。ただ、わくわくしながら聴いたのを思い出す。芸術祭の際にもオケや室内楽の演奏が行われ、それを聴くのが楽しみだった。
京成電鉄の動物園駅、今は閉鎖されているが、私はよく日暮里から京成に乗ってここで降りていた。
学生時代にはこの建物を残す運動があり、音楽学部の学生たちがミニコンサートを開いていたことを思い出す。
芸大の美術学部と音楽学部の間を通る道。ここを通るといつも合格発表の時のことを思い出す。何度も痛い目に遭っているのでトラウマとなっている。
音楽学部の正門。美術学部も同じような門だったが、芸大美術館が出来るとともに取り壊された。無残だ。
今日は芸術表現学会の設立総会が東京藝術大学の奏楽堂で開催された。設立発起人に名を連ねていらっしゃる方々は国公立5芸術大学の学長の面々。
宮田亮平東京藝術大学学長の挨拶から始まり、京都市立美術館館長で前京都市立芸術大学学長の潮江宏三市の設立趣旨説明が行われた。
その後、パイプオルガンの演奏が行われ、休憩の後「芸術と研究」というテーマでシンポジウムが行われた。
他の予定をキャンセルして駆けつけた近藤誠一文化庁長官のお話は印象的だった。突き詰めてゆけば問題はここに尽きるということだと思う。曰く、バブル後の次の形が見いだせない経済の行き詰まり、ポピュリズムに流れる政治の無力さなどは、目の前のもの、目に見えるもののみに流される今日の日本人のものの考え方に起因する。こういうときこそ芸術の重要性に対する社会一般の認識が必要である。ともすれば、社会を動かすためには役に立たない不要なものと見なされがちな芸術こそ、実はサバイバルのための重要な知的財産である、という言葉は、海外経験豊富な長官ならではの視点であり、大いに勇気づけられた。
その後の、東京藝術大学、北郷悟先生の「表現研究と3Dデジタルの可能性」、沖縄県立芸術大学、豊田喜代美先生の「知識創造理論から見た芸術表現ー声楽の学習モデルへの応用」、金沢美術工芸大学、鈴木浩之先生の「宇宙科学技術を応用した芸術活動に関する制作研究」と発表が続いたが、どれも非常に内容の濃いものだった。特にラグーザや荻原碌山の石膏型から非接触のデジタルスキャナで正確な形を読み込み、オリジナルが持つ微妙なニュアンスの消失やわずかな変形というような鋳造段階の技術的問題を減少させるという北郷先生の研究には新鮮な驚きを感じた。また、発声のメカニズムをご自分を実験台に解明し、暗黙知と形式知の知識スパイラルによって声楽の学習モデルに結実させるという、豊田先生の研究も目から鱗が落ちる思いで聞いた。そして、鈴木先生の人工衛星を用いた作品など、壮大なスケールに感心した。
シンポジウムの場でもたびたび出た「芸術についての研究」か「研究としての芸術」かという問題はまさにこの学会の拠って立つところを明確にする上で避けて通れない本質的な問題であると思う。明らかに後者であるべきであり、そうでなければ、わざわざこの学会を立ち上げる意味がないのは明白だ。
この学会の他の学会と異なる部分があるとすれば、たとえば引っ張りだこの演奏家やアーティストは審査を求める必要も感じないだろうし、そのために割く時間もないだろう。やはり、評価を必要とする芸術表現者は研究機関や教育機関に関わっている方々で、その多くは科研費等のグラントを取得する目的がある。そのためには他の学問分野と同じような審査を受けなければならないのは当然だろう。
ただ、モデレーターの渡辺健二先生が指摘されたように、演奏家の評価をどう行うかという問題などは相当難しい。録音して評価するというようなものでは到底不可能で、その意味では「論文でなければならない、再現性がなければならない」というような審査基準ではない、新たな評価のあり方が問われるだろう。自然科学系の先生方のおっしゃる「展覧会や演奏会を開けば良いというのは楽ですね。」という考え方に対する説得力を持った審査基準の構築が急務だ。
また、科研費の取り方の指南もありがたいし、現実の問題として重要ではあるが、その枠を超え、芸術表現をきちんと評価し位置づけ、冒頭の近藤文化庁長官の話にもあったように、我々日本人のサバイバルのための重要な知的財産であることの共通認識を持ちながら、何よりも日本人が実利優先の殺伐とした心性に陥るのではなく、豊かな感性を持った国民として世界に誇れるようになるためにも、この学会の果たせる役割は決して少なくはないだろう。 50年後、100年後の評価に耐えうるかどうかは別にして、学術的な評価はきちんとあるべきで、そのことを今まで行ってこなかったことは反省すべきだと思う。
いろいろな難しい問題を孕んでいるにしろ、「芸術表現学会」の設立に尽力された方々には感謝申し上げたいと思う。
休憩時間に演奏された廣江理枝東京藝術大学准教授による J.S.バッハの《前奏曲とフーガ》変ホ長調 BWV552 は全曲に生気漲る演奏でありながら一音一音がきちんと整理されていた。それにしても、この”喜ばしい”響きは何だろう?完全に信じ切っている強さというか、強い信仰に裏打ちされていて初めてこのような強靱で揺るぎない音楽が生まれるのかもしれないと思いつつ聴いた。しばし、バッハの世界に浸ることができた。
オルガンの音色は中高音は艶があり美しかった。ただ、ホールの限界か、欧州の教会で聴くオルガンのような頭上から降りかかってくるような中高音と地を這ってくる風のような重低音は望むべくもないのだろう。
ホワイエには北郷先生の研究で紹介された、デジタルスキャンによる鋳造還元彫刻、荻原碌山作「女」が設置されている。これは手で触ることができる。
総会終了後は懐かしいキャッスル(音楽学部内の洋食系の学食)で情報交換会。他大学の方々をはじめ、多くの方々と楽しい会話を交わすことができた。
キャッスルの外観。
キャッスルは昔は別の場所にあり、私が学部生のころ、ここに相撲部の土俵があった。名古屋造形大学の洋画のI先生は実は元相撲部員。
キャッスルの内部。もっと大きかったような気がしたが…
愛知芸大の倉地先生と京都芸大の木村先生がいらっしゃる。
情報交換会が終わって、上野公園をぶらぶらと上野駅に向かって歩く。公園内にスタバが出来ていてビックリ!
湯島方面に歩き、とある飲み屋で他大学の先生方、同窓生の方々と情報交換会第二部。ただの飲み会では断じてありません。情報をきっちり交換しました。実り多い会でした。
ということで長い一日が終わったのは深夜。
おやすみ!