デカルト以来の西洋近代思想の影響で、我々日本人も、心と身体、精神と物質を分けて考えることが習慣になっています。しかし、これはたまたま習慣化してしまったことであって、元来人間は、二項対立的な心と身体が合わさって出来ているわけではありません。人間は、身体で感じながら同時に考えてもいるし、考えながら感じてもいるわけで、次の行動をどうするのかを総合体として決めていくシステムから成っているのだと思います。たまたま人間は、他の動物と違って、自分自身について意識をしてしまったわけですが、そのことによって尚更、自分で意識して次の自分を創っていかなければならなくなる。その時に、「心と身体」という一つのシステムを自覚していることが、おそらく最も生産的であろうし、芸術は、そのシステムを自覚するために一番大切なのだと思います。なぜかといいますと、私の考えでは、哲学や宗教が発生するその根源としての芸術には、身体で表現し身体で感じ身体で考え、そして自分自身が自分になろうとするという特性があるからです。「自分自身が自分になる」 |
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というのは、 外界や他者との関係性の中で、創ること、表現することを通じて次第に自分が築かれていくことなのです。
現代では、とかく芸術とは、贅沢なもの、暇なときにするもの、装飾的なもの、といった考え方がありますが、実は、政治や経済に先立って、人間が人間として成り立つ根源にある表現行為が芸術なのです。そういう観点で芸術を捉えていくことが、芸術大学にとって非常に重要だと思います。日本では、芸術或いは美術を教える大学の多くが単科大学だということもあって、「芸術とは、それだけが孤立した特別な領域だ」と考えられがちですし、さらには「技術的なことだけを教えるのが芸術大学・美術大学だ」という誤解もあります。しかし、「人間は根源的にどのようにして成り立つのか」に関する考察を通じて、具体的に「次の時代の社会を、人間の生き方を創っていく上で、何が大切でどういう表現が大切なのか」を追究していくことが、本来の芸術大学の使命だと考えます。 |