知人の別荘に行った。知人の部屋は高い建物の上階にあり、目の前には海が広がっている。バルコニーからは階段が一直線に砂浜まで下りている。
別荘の横には幅2mほどの水路が走っており、煉瓦造りの建物が立ち並ぶ中を濁りのない澄み切った水がかなりの勢いで流れている。
石造りの小さな橋の上から見るとおびただしい数のカヌーが競い合って水路を上ってくる。カヌーは何色かの鮮やかな色に塗り分けられており、水面ぎりぎりにあるその橋の下まで来るとザブンとでんぐり返り、上下を逆にして潜ったまますり抜けて行く。
私は持っていたカメラで夢中になって写真を撮った。ただ、そのカメラはフィルムカメラでしかも手巻きなものだから非常にまどろっこしい。デジタル機能も付いているので撮った画像はその場で確認出来るのだが、それを見ている暇が無いほどすばらしい瞬間が次々にやって来る。
カヌー同士が激しくぶつかり水しぶきを上げながら水路を遡上してくる光景はカメラのファインダーを通して強く目に焼き付けられている。
あの光景がカメラの中に残っていればなあ、と目が覚めてからしばらく考えていた。
この夢の中に出てきたハイブリッドカメラ、あればいいのにな~!
さて、1月9日のブログでお伝えした「NZ湯 露天風呂」の写真画像が出たのでお見せしよう。
私は残念ながら立ち会えなかったが、このように徘徊(疾走?)したらしい。
先頭で引っ張っているのはコンテンポラリーアートコースの吉岡先生だ。ちょっとキツそうだな〜
入浴している二人は名古屋造形大学総合造形コース(現コンテンポラリーアートコース)卒業生で講師の近藤さんと、やはり卒業生で助手(嘱託職員)の楊さん。
沈む夕陽を眺めながら人生について語っているのかな ??
名古屋造形大学キャンパスからの絶好の風景を眺めながらの”ほっこり感”あふれる写真、いいね!
撮影は講師の山田亘先生でした。
ところで、現代アートの中には視覚を介するものだけではなく、味覚、嗅覚、そして触覚を介するものがある。マリ=アンジュ・ギュミノの作品で、板塀に空けられた穴に脚を突っ込むと足をマッサージしてくれるものがあったが、私は東京とドイツで経験した。この触覚を介するアートの印象は強かった。
また「越後妻有アートトリエンナーレ」のマリーナ・アブラモヴィッチの「夢の家」ではお風呂の体験もできるようになっていた。残念ながら私は見ただけで入浴はしなかった。
この「NZ湯 露天風呂」も”温感”により世界を”異化”するという意味ではアートといえるだろう。この”ほっこりアート”一度体験してみたい。…でも冬場はお湯がすぐ冷めると思うのだけど !?
ちなみに、以前名古屋造形大学の芸術祭では助手たちが運営する銭湯が現れたことがある。これは移動式ではなかったが、ちゃんとその場で湯を湧かすことが出来た。このような伝統を考えると、あとはここで温泉を掘り当てるしかないか…!?
今日はお昼前に大学に行き、展覧会の準備作業を行った。明日からの個展のためのキャプション作り、ポートフォリオの整理など、やることは少なくない。
結局、暗くなってから帰宅。
先延ばしにしている仕事が気になるが、今夜は久々に家でゆっくり過ごそう!