2月19日(月)晴れ

今日は大学に行かない日に決めた(このところ休みなく出校しているので)。

昨夜、車のヘッドランプが切れたので、午前中に修理屋さんに持って行き、午後からは自宅で過ごした。

今日は写真も無く、特に書くべきこともないので、昨日のちょっとしたことについて書いておこう。

長く生きていると、ことの本質が何年も経ってから分かり、腑に落ちることがある。

実は、昨日の朝、風呂に入りながらFM放送を聴いていたらワーグナーのタンホイザー序曲が流れてきた。その解説を聴いてハッと気が付いたことがある。何十年も前のあることがやっと腑に落ちたのだ。

それは高校2年生の時に見せられた(自主的に見たわけではない)映画のことなのだ。

性病予防のための啓発フィルムで、なぜか男女に分けられて、男子生徒だけで見た(見せられた)。

内容は、ある男子高校生が叔母さんの誘惑に負け、男の子の大切なものをあげてしまうというもの。しかし、残念ながら、引き替えに面倒なものをもらってしまった。それがいわゆる梅の病だったのだ。

その、病原菌(スピロヘータ)の検査をするシーンで、白衣を着た検査官が試験管を凝視しながら振っている場面の背後に流れるのがこのタンホイザー序曲だったのだ。

それから、タンホイザー序曲を聴くたびにこのシーンが浮かんできて、何とも腹立たしく思っていた。

誰かクラシック好きの映画制作者が適当にタンホイザー序曲を選んだその浅薄な判断に、一生の間タンホイザー序曲がそのシーンと結び付けられてしまう不幸。もう純粋な気持ちで二度とこの音楽を聴けなくされてしまったのだ。

ところが、ラジオから流れる皆川達夫氏の解説にハッとした。

「タンホイザー」はリヒャルト・ワーグナーのオペラで、騎士タンホイザーが愛欲の女神ヴェーヌス(ヴィーナス)との「甘い生活」に溺れる場面があり、序曲の中にも「ヴェーヌスブルクの音楽」という、その場面を表す部分がある。

まさに、白衣の検査官が試験管を振るそのシーンに使われていたのがこの「ヴェーヌスブルクの音楽」だったのだ。

「因果応報」という言葉があるが、まさに「ああすればこうなる」という戒めの意味で使われていたのだ。

因みに騎士タンホイザーは清い愛で結ばれていたエリーザベトを失い、自らも彼女の遺骸に寄り添い息を引き取ることになる。

46年振りに腑に落ち、映画制作者の意図を理解するに至ったのだが、これで少なくとも、今後タンホイザー序曲を聴いたときに「あの野郎!」と思わないで済む。

そして、この音楽が「愛欲の場面」ではなく、病気が明らかにされるシーンで使われたことに、今さらながら、この映画制作者の若者に対する思いやりに満ちた厳しい戒めの心を感じる。今さらながら…だが。

タンホイザーはよく聴いてきたオペラだし、ストーリーはもちろん分かっているのだが、なぜ結びつかなかったのだろう…? 皆川達夫さんありがとう!