初夏を思わせる気候。湿度もほどほどにあり、日が照ると汗ばむ陽気だ。
チェックアウトを済ましてホテルに荷物を預け、まず沖縄県立美術館・博物館へ。
志村ふくみ展を観た。ゆっくりと観て歩いたが、草木染めの美しい色彩に心洗われるような気持ちになった。
常設展示は残念ながら無く、同じ建物内の博物館をじっくりと観た。
沖縄本島と琉球諸島の太古からの歴史が良く分かった。
地形や気候の変化に伴う生物の生息域の変遷についての展示も興味深く、学ぶところが多かった。また、近世の支配・非支配の複雑な関係については考えさせられるところが多くあった。
侵略して支配することが”平定”という言葉に置き換えられた途端、肯定的な意味合いとなる。
徳川が薩摩を支配し、薩摩が琉球を支配し、琉球王朝は周囲の島々を支配し、島民は疲弊する。
収奪システムが効率化し、富がどんどん吸い上げられる。歴史上、いったいどれだけの人たちが苦役を強いられ虐げられ続けてきたのだろう、と考えてしまう。そして、沖縄にとって今の時代はどうなのか? 我々は真剣に考えなければならないと痛感する。
儀保駅から首里城までの道すがら植物の写真を撮ってみた。
道沿いのお宅の庭先にも魅力的な植物が沢山。
これはオオタニワタリ。
日本南部から台湾の森林内の樹木や岩などに着生するシダ植物で、日本本土など比較的寒冷な地域では岩の上や地上で生育するものが多くなる。
近縁種のヤエヤマオオタニワタリの新芽は天麩羅などの食材となる。
原産地は中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林。こちらのお宅にも様々な色の花があったが、花色の種類はかなり多いようだ。とは言っても、花に見えるのは実は包葉で、花は中心の三つの白いもの。よく見ると可愛いね!?
本土でも見たことがあるような気がするが、ナス科の植物だとか。園芸名はエンジェルストランペット(Angel’s Trumpet)。なるほど!
家々の庭の植物を見て歩くだけでも楽しい!
しばらく歩くと沖縄県立芸術大学の建物が見えてくる。
門にはちゃんとシーサーが載っている。
円覚寺跡。臨済宗の寺院がかつてここにあった。
1494年に鎌倉の円覚寺を模して建立されたそうだ。ちなみに第二尚氏の菩提寺だったとか。
第二尚氏は琉球最初の統一王朝をつくりあげた王家ではなく、統一王朝をつくった第一尚氏の尚泰久王の重臣であった金丸が6代尚泰久王の子の7代尚徳王にかわって王位に就き、尚円王と名乗ったことから始まる。
円覚寺は戦前は国宝に指定されていたが戦争でほぼ壊滅した。戦後、この総門が復原されたが、建物のみならず、貴重な遺構が徹底的に破壊されたことは何とも残念なことだ。
田んぼに隙間がないほどの着弾の跡がある写真を見ると、沖縄が如何に猛烈な攻撃にさらされたかが分かる。沖縄戦での住民の死者は正確な数は不明だが9万4千人と言われている。
こちらの弁財天堂(べざいてんどう)も1968年に再建されたもの。
これは守礼門(しゅれいもん)。これも戦火で焼失し、1958年に再建された。二千円紙幣にも図柄が使われている。
首里城に来るのは3日連続だが、今日は撮影は無し。昨日、閉館時間のため少し見そびれた解説ビデオが気になるので出かけた。あらためて見てみると大変分かりやすく作ってあった。
城内を散策してみた。
ここにも南国特有の植物が目に付く。
葉から取った油が甘い香を放つので、アロマオイルや香料として使用されるほか、虫よけの効果もあるとか。また、ムーチー(鬼餅)を巻いて蒸すのにも使われる。香りもいいのだろう… 食べてみたい!
これは梔子(クチナシ)
クチナシと聞いた途端に「い〜までは指輪も〜♪」という声が聞こえてくるような気がするのはある年齢以上に特有の現象と言えるのだろうか…
首里城を離れ、帰り道に遅めの昼食。
今日もお昼は沖縄そば。
首里城から儀保駅へ向かう途中の観光客がたくさん通る場所なので「どうかな〜?」と思ったが、鰹の風味のスープは大変美味で、後味も化学調味料の嫌な味が全く舌に残らず大正解。しかも500円‼︎ 何か申し訳無いような気がする。
食事のあとは、ゆいレールで県庁前へ。
那覇市立歴史博物館を見てからホテルに戻り、いよいよ帰り支度。
この3日間お世話になったゆいレールとも今日でお別れだ。
空港でオリオンビールともお別れ。
午後7時発の飛行機で帰路に就いた。
この3日間はすごく歩いた。
スマホのアプリでは初日が9,347歩、2日目が12,866歩、今日が16,661歩。
このアプリでは反映されないが、実際には美術館などの屋内でもかなり歩いているので、もっと歩数は多いと思う。
重い機材を背負って歩き、撮影も厳しい姿勢で長い時間に及んだので疲労は溜まっているが、しかし、充実した那覇の旅だった。