今日は自宅で仕事をしながら音楽を聴いた。
家には古いオーディオ装置がある。現在最も古いのがスピーカーで35年くらい前のものだ。CDプレーヤーも20年以上前のもの、アンプも10年は経っているが、そこそこ良い音はする。
実は、先日タモリ倶楽部で“球転がし”、つまり、管球アンプの真空管を替えながら視聴するという趣向の番組があり、その時、アート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズの”モーニン”、そして、カーペンターズの”シング”が聴き比べの対象曲となっていた。エリック・ドルフィーのバス・クラリネットによる”エピストロフィー”も採り上げられていたが、主にモーニンとシングで比較されていた。
ゲストで出ていたコブクロの黒田俊介さんのカレン・カーペンターへの入れ込みようが半端ではなく大変面白かったのだが、不思議と、貧弱な音しか出ないテレビでもカレンの息づかいが分かるように思われ、すごく良い音が出ているような…気がした。
単純にその影響を受け、ウチの装置でもモーニンとシングを聴いてみたくなった。それで、今日やっと聴いてみたという訳だ。
音像はきっと良い装置で聴くともっと大きく出るのだろうと想像するが、それでも、まあまあの音は出ているような気がした。この間、スーパートゥイーターを追加したので、音の繊細さとシャープさが増したように思う。
実はカーペンターズの曲をちゃんと聴いてあらためて感心した。特に「イエスタデイ・ワンス・モア」が素晴らしい。もちろん、曲はいいのだが、それにも増して驚いたのはサウンドの作り方が極めて良い!
かつてラジオで四六時中流れていて聴き飽きたように思っていたのだが、こうやってちゃんと聴くと発見がものすごく多い。非常に良く練り上げられたサウンド作りというか、凝った曲作りがなされている。この曲にこんなに多くの情報が詰まっていたとは…
普通のCDで聴いてこれだけのサウンドなのだから、きっとハイレゾだとすごいのだろうなぁ!?
次に聴いたのがサラ・ヴォーンの”Crazy and Mixed Up(邦題:枯葉)”の中に入っている”Autumn Leaves(枯葉)”。これはサラ・ヴォーン晩年の秀逸な録音。スキャットのみの歌唱で、我々が良く知っているシャンソンとは分からないくらい自由に唄われている。また、ギターのジョー・パスとの丁々発止の掛け合いも素晴らしい。
このCDはまた音空間が自然で非常に聴きやすい。
カレン・カーペンターもサラ・ヴォーンも大分以前に亡くなっていて、もうその声を生で聴くことはできない。そう考えると、その音記録が非常に貴重なものであることを痛感するし、そうであるからこそ、よりリアルな音再生が望まれると思う。それは、単にオーディオ・ファンであるかかどうかという問題ではなく、アーティストが遺した貴重な財産の価値を損なうことなく存分に味えるかどいうかということだと思う。
今日は、クラシックは聴かず、ジャズやオールディーズを聴きながら仕事をした。
…というか、仕事をしながら音楽を聴いた。