9月13日(土)晴れ

日差しは強いが、空気がサラッとしていて心地よい。
今日は美術館とギャラリーを観て回ったが、光のコントラストが既に夏ではない。
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空の青さが既に秋だと実感させる。

あれ、壁面にゴンドラが…
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高所が苦手な私には到底出来ない作業だ。

会期も終盤に差し掛かった愛知県美術館の「これからの写真」展を観た。
この展覧会は力のある作家の優れた作品が集められた見応えのある展覧会だった。

もう一つ、この展覧会が話題となったのは鷹野隆大氏の作品の一部が、匿名の通報者があったということで、県警から外すように要請されたということだ。

美術館と作家とが協議し、外すのではなく、一部、あるいは全体を紙や布で覆った状態で展示を続けることになった。ちなみに、美術館はこのブースの入口を幕で覆い監視員を置くなどの対処は行っていた。

アートは決して見た目が美しく当たり障りのないものばかりではない。人によっては目を背けたくなるような表現もある。海外の主要な展覧会の中でも性を扱った作品を見る機会は少なくなく、また、”生”に対して鋭く切り込んだ、一見暴力的に見えるような表現もある。

もちろん、何でも許されるということではないであろうとは理解できるし、欧米でも、徐々に表現者と鑑賞者の理解が進んで来たことで、幅広い表現か受け入れられるようになってきたということだろう。

それを不快に思う人が居るから見せなくする。あるいは「刑法に抵触する」という判断で隠している限り、このような不毛の状態は続くだろう。

いつも問題になるのは誰が判断するのか、ということだと思う。絵画ならよいのか? どの程度の写実表現ならダメなのか? 性的なシンボルを祀る神社や祭りはOKなのか?

いずれにしても、今回の展示がアーティストや主催者側の意図とは違った形で話題を呼び、”隠す”ことによって作品が新たな発言をし始めたことが、私には興味深く感じられる。

作品を撤去しなかった主催者側の判断と、作家の姿勢には拍手を送りたい。ただ、目の前にある作品が覆われて見えなくされていること、そこにはたらいている力には”暴力的なもの”を感じたと率直に言いたいし、私には隠さなければならないものだとは到底思えない。

美術館を出るとすっかり青空。
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いくつかギャラリーを回って帰宅。
久々にジムに行った。
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