お昼前から小牧市国際交流協会総会とパーティに出席した。会場の名鉄小牧ホテルのロビーには何故か伊勢エビの殻で作った小牧城が… 何でも伊勢エビ2,000尾分だとか…??
総会は無事進行、参加している外国籍の方々、日本人のボランティアの方々の明るい表情が印象的だ。
パーティでは一般的な料理の他にドイツ、ブラジル、中国などの郷土料理が振る舞われた。
小牧市では外国籍の方が占める人口比が5%、つまり20人に1人が外国籍の方ということだ。最も多いのがブラジル籍の方、ついで中国籍の方とのこと。
各国の語学講座、料理講座、マナー講座などが開かれており、ボランティアの方々も大勢関わっていらっしゃる。この壇上の人たちは日本語講座の受講生の皆さん。それぞれの国を代表して一人ずつ日本語で挨拶を行った。
私もドイツで外国人として4年あまり過ごしたが、このようなサポートは非常に大切だと思う。外国人は孤独だし、得てして自国民だけで集まってしまうことになるからだ。そして、このような”草の根”の交流が実は相互理解、ひいては世界平和の基盤となることを実感する。ある中国籍の方の挨拶の中で、日本語の他にインドネシア語やベトナム語も学んだというお話があった。つまりそれは小牧在住の外国人同士も交流を行っているとであり、このことに実は大きな意味があると思う。自国に居てはなかなか触れ合えない外国人同士が日本で交流できることが何より素晴らしい。私もドイツの語学学校でボツワナ、ジンバブエ、イエメンなど、日本ではあまり会うことのない国の人たちと親しくなった。その後、テレビなどでそれらの国々の話題が採り上げられるたびに特に気に掛けて見るようになった。
ハンガリーの紹介講座
このように市内に在住の外国人からの自国紹介講座もある。ハンガリーは行ったことがないが興味がある。ただ、東アジア諸国と同じく名字が先に来て後で名前が来るとか、あとは音楽家を知っている程度の知識しかない。リスト、コダーイ、セル、ショルティ、ケルテスとか… バルトークも旧ハンガリー領出身。
このような活動を支えている市の方々、ボランティアの方々、援助されている企業の方々には頭が下がる思いだ。
小牧市国際交流協会のパーティ会場を後にして、名古屋市美術館へ。昨日の養老天命反転地に続き、名古屋市美術館で開催中の荒川修作”MISTAKE”展の会場で田中泯さんの「場踊り」を観た。
昨日と全く印象が異なる踊りだった。
自然と密着しその中に溶け込むようにして踊られた昨日の場踊りに比べ、今回は閉じられたギャラリー空間の中で場と対峙する身体性がより明確に感じられた。絵画へのアプローチは早くキビキビとした動きが中心となり、ギャラリーの壁面やコーナーへの働きかけは比較的ゆっくりとした動きが中心となっていたように思う。
会場での踊りは主に「クールベのキャンバス」の前で行われたが、バックライトの前のシルエットのように、瞬間瞬間の田中泯さんの身体が”暗黒のエネルギー”を照射するように働きかけてくる。そして絵画はその都度、いま生まれたばかりのように蘇る。これは非常に不思議な体験で、戦慄のようなものを感じた。
「考えても無駄だと3才の時、母は言った。ダンスをやるんだったらアメリカに行けと18才の時に言われた。全く守れなかった。だから今こんなことをやってるのかな…」という言葉。今回の踊りでは唄(名月赤城山)も出たが、荒川修作へのオマージュと田中泯さん自身の感情の表出が交互に出ているように感じた。
今回の「場踊り」では彼の身体表現(とそこから生じる音など様々な現象)をそのまま受け取るチャンネルと意味を解読しようとするチャンネルが私の中でせめぎ合い、時に激しく切り替わった。そのような中で、言語と身体性について大きな示唆を得たように思う。まだモヤモヤしていて頭の中で整理されていないが、このことについては考え続けたいと思う。
名古屋市美術館で開催されている田渕俊夫展は最終日だった。上手いなぁー!と感心した。同時に「AKIRA」や「攻殻機動隊」などのマンガやアニメーションの表現に通じるものを感じた。パースは西洋起源の透視図法的パースで、表現は線と平面的な塗りによるという点では非常に近いものがあるかもしれない。