3月11日(月)晴れ

あれから2年、時の経つのは早いものだ。外出先で揺れを感じ、自宅に戻ってテレビを点けたらあの映像が飛び込んで来た。
どす黒い水が田畑に押し寄せ、あらゆるものを飲み込んでゆく様を見て、ただ傍観するだけの自分が歯痒かった。

一年前の3月初旬、米国の大学でのレクチャーを行った際には、震災直後からの様々な援助に対してお礼を述べることから始めた。一人の日本人として感謝の気持ちを伝えることは当然だと思った。
3月11日はサンフランシスコのホテルに居たが、日本での追悼式典がテレビで同時中継されていた。ホテルで会った人々からは次々に悔やみの言葉と励ましをいただいた。

思い返せば阪神淡路大震災の際、実家の家族が避難所や仮設住宅で暮らしている時、国内外からの援助物資に助けられた。その後、展覧会で韓国を訪れた際、スピーチの場で、韓国から物資をいただいたことに対してお礼を述べた。
困った時に助けられたことはいつまでも忘れない。助け、助けられながら、真の友情は育ってゆくのだろう。

一方、あまりにも大きな傷跡は簡単には癒えない。原発事故のもたらした災禍も甚大であり、我々は一日たりともこのことを忘れてはならないだろう。

名古屋造形大学でも卒業式が間近に迫ってるが、人の心に直接働きかける術を持った若者たちが、それぞれの場所でそれぞれの仕方で、細やかであっても、被災地の復興、そして人の心の傷を癒やすために何らかのかたちで貢献してほしいと思う。

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さて、今日一日を振り返ってみよう。
午前8時半に整形外科へ。リハビリテーション治療を受けた。
リハビリは今日で二回目。理学療法士のYさんは同い年の男性で、治療も上手いし話にも説得力がある。ただ、残念ながら、三月いっぱいで病院の事務長になられるとか。せっかくいい方に当たったんだが…

肩の具合はやはり大分悪いようで、最低半年、長ければ一年を覚悟しなければならないとか。今後もせっせと通院しなければならないが、これから作品制作をどうするか悩ましいところだ。

リハビリを終えて大学に戻り、種々の打ち合わせ。バタバタと旅支度を整えて中央高速バスで名古屋へ。

名古屋駅でドクターイエローを見た。

そして、新幹線で新横浜を経由して青梅へ。

今回の講演は「知覚コロキウム」という、全国の知覚心理学と関連分野の研究を最先端で牽引してきた研究会で行った。この研究会は今回が第46回目ということで、45年間に渡って続けられてきた由緒ある会だ。

私は「現代アートと視覚」というタイトルで、自作やその他の参考になる画像をプロジェクションしながら話を進めた。
最初は雰囲気が硬く、ジョークも滑り気味だったが、徐々に滑らかになり、終盤になってスパークリングワインが出てくると、一気に盛り上がり、質問も次々と出た。

その後、お酒を嗜みながらの会話となったが、若い方からご年配の先生まで、幾つものグループに自然に別れ、時として交わりながら延々と議論が続いた。
気が付いたら午前3時近くになっていたので、私は慌てて部屋に戻って休ませていただいたが、まだまだ、多くの人たちが真剣な議論を続けていた。その真剣さとエネルギッシュな姿勢に脱帽!