いよいよ今年最後の日だ。
その朝を神戸で迎えた。
何となく新開地へ行ってみたくなった。
子供の頃、新開地は映画館や飲食店などが並ぶ神戸でも指折りの歓楽街だった。
元々このあたりは湊川が流れていたが、明治期に西の方に付け替えられ、その跡地に山の方に向かって坂になった新しい土地ができた。ここが新開地だ。湊川はいわゆる”天井川”だったので、山側から海側に向かって巨大な滑り台のような斜めの土地となった。
戦前は神戸で最も栄えた繁華街で、演芸場に映画館、そしてスケート場などが建ち並んでいた。かの映画評論家の淀川長治さんはここで毎日のように映画を観て育ったらしい。
戦後、神戸の中心は徐々に東に移り、繁華街は元町、さらに三ノ宮へと移っていった。私の子供のころの新開地は衰退期にあったのだろうが、まだ、賑やかな雰囲気はあった。
今は往時の繁栄は見る影も無いが、どことなく昭和の雰囲気が残っている。見かける人の年齢層は高く、彼らの若かりし頃の雰囲気を残し、時間だけが流れ去ったように感じる。
「ちょっと”ふんどし”行こうか?」って、女性は誘えないなぁ。
ひょっとして板さんがふんどし姿とか…?
ここの交番は存在感が無いなぁ…
それに引き替えカラオケ店は!?
左側のボーリング場がある場所に聚楽館(しゅうらっかん)という劇場やスケート場が入った一大娯楽施設があった。戦前のコンクリート造りの建物で、新開地を代表する建物だった。
名前は秀吉の聚楽第から取られ、正式には”じゅらくかん”だったらしいが、地元では「しゅうらっかん」と呼び、子供たちは「ええとこ、ええとこ、しゅうらっかん」と節を付けて言っていた。
今は有名になったたこ焼き屋さんの”たちばな”や中華料理店の”春陽軒”もここから出た。
このあたりは、かなり坂がきつくなっている。
左側に天然温泉の湊川温泉があり、コンクリート造りの「神戸タワー」があった。
この角にある”人工衛星饅頭”は子供の頃からあったが、食べたことはない。一度食べてみたいと思っている。
囲碁を指すお二人と勝負を見守る方々。
静かにゆっくりと時が流れて行く。
湊川公園の北の端から始まる東山商店街は西日本でも最大級の市場で、この日は大晦日の買い物客でごった返していた。
子供の頃、祖母に連れられて何度か来たことがあり、クネクネと入り組んだ市場の形が懐かしい。
この三角の厚揚げが関東煮(かんとうだき)に入っている。関西だけかなぁ、三角の厚揚げ??
これが湊川の上流方向。明治34年、度重なる氾濫と港への土砂の流入を防ぐため、ここから西に川が付け替えられた。
再び混雑する東山商店街に戻り、湊川商店街へ坂になった市場をノンビリ下って楠神社へ向かう。
楠神社から東に歩くと、神戸の名所の一つでもある、延々と続く”高架下”の商店街が始まる。
高架下から元町商店街へ。
ここには昔三越があったが、やはり、中心が元町、そして三ノ宮に移ったことで、いまは少し寂しい感じ。
ここの珈琲は本当に美味しい。
そして、器がいい。
お客さんによって選んでくれている。
帰りのバスは渋滞も無く、非常に順調。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を第7番から続けて聴きながら名古屋へ。
名古屋駅に着いたときにはすっかりと暮れていた。
いつもながら体当たり的な仕事ぶりはさすが!
顔も”おたふく顔”に整形までして…
名鉄バスセンターからいつものように高速バスで帰宅の途へ。
大晦日の名古屋は車の通りも少なくがら〜んとした感じ。
みんな家で紅白歌合戦観てるんだね!
というようなわけで、久々の神戸を楽しんだ。
観光客が行くようなルートではないが、懐かしい場所に行けてよかった!