8月6日(火)雨のち 晴れ

未明からの断続的な豪雨があり、午前中は降ったり止んだりの天候だった。

朝、テレビで広島平和記念式典の様子を見た。
戦争の残虐さに違いを見いだすことは出来ないかもしれないが、一瞬にしてこれだけ多くの人命を奪った兵器はかつて無かった。また、その後も重い後遺症に悩まされながら生きてこられた方々の心中を思いやるに余りある。

私は恥ずかしながら40歳を超えてから初めて広島を訪れた。平和記念式典の翌日のことだったが、その時開催されていた被爆者の絵画展を観たとき、ふいに涙が溢れた。その絵は決して上手い絵ではなかったが、真に迫っていた。
描いた人たちがその場で見たこと体験したことは到底抱えきれないほどのものであっただろう。それが時を経て、描くことによって奔流のように一気に流れ出してきた。その渦に巻き込まれてしまったのだ。
全身の皮膚が垂れ下がったまま彷徨う人たち、防火用水の槽にひしめき合って立つ人たち、すでに息絶えた赤ん坊にお乳をやる母親。それは到底この世のものとは思えない光景であった。しかし、現実に起こったことなのだ。

原爆資料館の展示を見た人たちが、この非人間的な行為に対して怒りや怨みの気持ちを持つのは当然だと思うが、一方で、怨みによって解決されるものは何もないということを我々は知るべきだろう。怨念の連鎖がどのような歴史を築いて来たかを思い起こし、我々はそこから学ばなければならない。
想像する力こそ解決に繋がる、と私は思う。誰もが被爆者にも原爆投下のボタンを押した兵士にもなり得るのだ。
誰が行った、とか、どこの国が行った、ではなく、人間が行ったということを知るためにこの資料館はあり、だからこそ、多くの人々が見るべきだと思う。
ヒロシマ、ナガサキから学んだことを風化させてはならない、と、式典のTV中継を見ながらあらためて感じた。

TV中継を見終わり、朝9時に大学へ。
午前中にゼミ展のDMチェックを行う。
鈴木君が原案を作成してくれた。

先端系のコンピュータ室から見たキャンパスは雨模様だ。

お昼は学食がしばらくお休みのため自炊。
スパゲッティを茹でて簡単ペペロンチーノ。
ちょっと寂しいけど、結構美味い。

お昼過ぎには天気も徐々に回復してきた。

午後からは名古屋へ移動。

笹島町バス停、今日はバス待ちの行列が長く、いつもと見える風景が違う。

今日は名古屋音楽大学で三大学の入試広報課の会議。

夕方からは懇親会。
日が沈む頃の風景を見ながら会場へ向かう。
セントラルタワーズも夕陽を浴びている。

名古屋駅を通り抜けて反対側へ。
大名古屋ビルヂングがあった場所にはクレーンが沢山立っている。
取り壊しが終わり、新しい建物の建設がはじまったのだろうか?

建物に映る光の色も徐々に赤みを帯びてきているようだ。

会が終わり、夜のタワーズを見ながら帰宅の途についた。