2017年度 名古屋造形大学 入学試験要項
67/84

66問題B その頃、私は先ほど見掛けた「おとこ汁─黒いアンチクショウ」という興味深い看板を掲げた模擬店が気になっていたので、グラウンドまで戻っていたのです。黒いアンチクショウの正体はお汁粉でした。 右手にお汁粉、左手に達磨、背中に緋鯉という立派ないでたちで、私はグラウンドを歩いて回りました。私は猫舌ですので、すぐお汁粉を飲むというわけにはいきません。けれども空が翳って冷たい風が吹いているので、お汁粉は舌に優しい温度まで冷めました。背中は緋鯉に守られてぬくぬくです。 グラウンドには食べ物を売る模擬店のほかにも、大道藝や、ストレス解消屋さんもいます。皆さんそれぞれに工夫を凝らして、学園祭というへんてこなお祭りを一致団結して盛り上げようとしているのです。素晴らしいことです。お汁粉を食べ終わった後、私はストレス解消屋さんにお金を払い、サンドバッグへおともだちパンチを喰らわせてみました。 身体も温まったところで私はグラウンドから出て、北門前へ歩いていきました。そこにもフランクフルトや焼きおにぎりにクレープ、古道具や手作りのアクセサリーに古着など、さまざまな店舗がならび、まるで闇市のような活気に溢あふれています。大きな仮面ライダーV3の人形に目を奪われた私が座り込んでいると、傍らに座った人がいます。その人は私の顔を覗いて、「こんにちは」と言いました。それは「象の尻」という斬新な企画で、象のお尻の厳しい現実を私に教えてくれた人であったのです。「これは奇遇ですね」「遠くからでもすぐに分かりましたよ。背中の鯉が目立つんだもの」「象のお尻は宜しいのですか?」「いいんです。友達に代わってもらったし、それに、もうすぐ解体するから」「え!解体してしまうですか? もったいないですねえ」「だって、いつまでも講義室に象のお尻があったら授業ができないでしょう」 彼女は達磨を紐でつなげたものをぶら下げていました。私がそれを指して「素晴らしいですね」と感心すると、彼女は嬉しそうに頷きました。「達磨をたくさん拾ったので、つなげてみたの」「斬新です。私、達磨は大好きなのです」「私も。小さくて丸いものは大好きよ」 私が拾った達磨を見せると、彼女は紐でつらなった達磨を私にくれると言いました。ありがたく頂ちょう戴だいして、首から掛けてみせると、彼女は「面白い人ねえ!」と笑います。 それから二人で模擬店を見て回っていると、段ボールに林檎を積んでいる店を見つけました。一日一個の林檎は天下無敵の健康を作りますが、私はすでに背中には緋鯉、左手には達磨、首には達磨の首飾り、右手にはクレープを持っている自由のきかない身です。悩んでいると売り子の学生から、林檎と達磨を交換しないかと言われました。私は達磨はたくさん持っているのですから、まさに渡りに船です。左手に握っていた達磨は、紅あかい艶つや々つやした林りん檎ごに化けました。象の尻の女性も一つ買いました。 私たちは北門脇に座り込み、林檎を齧かじりながらお話ししました。「なぜ象のお尻を作ろうとされたんですか?」 彼女は林檎を服で磨いて、美しい眼で見つめています。「去年の学園祭のことです。私は友達と待ち合わせして、法学部の中庭へ行ったの。誰かが造った舞台があったけど、誰も使ってないし、男の人が一人座ってるから、私もそこに座ることにしました。そうしてぼんやりしていたら、林檎の雨が降ってきました」「それはまた不思議なお天気ですね」「誰かが法学部の窓から林檎をばらまいたのね。ばらばらと赤い実が降ってくるのに驚いて立ち上がった拍子に、私はとなりに座っていた男性を見ました。彼も私を見てました。その瞬間、お互いの頭のてっぺんに林檎がぶつかって、ぽんと跳ねるのを見たんです。あんな偶然あるんですね。とても痛かったけど……私と彼は思わず笑って─それから話をして。彼はとても面白い人だった。自分がなんの話をしていたのか憶えてないけど……彼は象のお尻の話をしてくれたの」 彼女はくすくす笑って、手に持った林檎をくるくる回しました。「友達がすぐに呼びに来たので、私は彼と別れました。学園祭が終わり、日常が戻ってきて、毎日が過ぎていきました。けれども、ことあるごとに彼のことを思い出すんです。彼と象のお尻のことばっかり。彼が話してくれたことで私がはっきりと憶えているのは、象のお尻の話だけだったからです。でも大学構内ではちっとも彼を見掛けないんです。私はある日思い立って、次の学園祭には象のお尻を作る決心をしました。物を作っていると苦しいことを忘れられるから─」「恋心の籠こもったお尻だったのですね!」「学園祭で『象の尻』と看板掲げていたら、彼が面白がって顔を出すかもしれないでしょ?」 彼女は呟きました。「でもそう都合良くはいかなかったみたい」 なんと美しく、いじらしいお話でしょうか。私は恋とは無縁で生きてきた女ですから、彼女が胸に秘めた苦しみを分かち合うことはできませんが、それでも私が同じように恋をしたら、きっと象のお尻を一心不乱に作るに違いありません。そうなのです。その男性のことを考えながら創作に打ちこむ彼女の姿を思い浮かべた私は、危うく落涙しそうになりました。「夜は短し歩けよ乙女」森見登美彦①②講評文2日間10時間というギリギリの作業時間内で十分な仕上がりです。キャラクターの表情も魅力的で2ページという短い場面でも一瞬で画面に引き込まれます。背景もしっかりと入れ込み、カメラも意識した上で、少女マンガ的演出をうまく活用してキャラクター達の心情を表現しているところもポイントが高いですね。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 67

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です