2017年度 名古屋造形大学 入学試験要項
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65問題C「きみがコウキーなのか?」とブースは訊いた。 娘はうなずいた。「曲を書いたのも?」「ええ、わたしよ。ただし〈ハウ・イット・リアリー・ウォズ〉って曲だけは、まえにいっしょに組んでたオルガン・プレイヤーと共作したわ。わたしがメロディと歌詞を書いて、彼にコード進行をいじってもらったの。でも、ほかはぜんぶわたしの曲。百パーセントすべてね」「ヴォーカルも?」「ええ」「きみには才能がある。あのテープはいったいどこで録音したんだね?」「自宅よ。ちっちゃい宅録用デッキを持ってるの。自分でキーボードとギターを弾いて、ヴォーカル部分は近所からあんまり苦情の出ない日曜日に吹きこんだわ。そのあと、リハーサル・スタジオへ行って、ベースとドラムスを重ねたの」 ブースは娘の答えにすっかり満足した。しかも彼女はまだ若く、思っていたよりもずっと美人だ。どこかのクズ野郎と結婚していて、そいつがマネージメントを仕切るなどと言いださなければ、このコウキー・シェイは文句なしの掘り出し物だった。          (中略) ブースは以前から知っているソーホーのこぢんまりした店にコウキーを誘い、遅めのデザートをご馳ち走そうした。自分の曲や歌詞の話をまくしたてるコウキーに、ブースは警告した。レコード業界は過酷な試練が待ちうける岩だらけの川であり、きみには経験豊かなガイドが必要だと。それからブースは、さらにつづけた。まずはもっとべつの曲も聴かせてほしい。しかし、テープを聴いた第一印象を言えば、きみはシンガーにとっていちばん大切で、いちばん価値のあるものを持っている─個性的な声だ。 コウキーは顔を赤らめた。高校を卒業して以来、誰かが顔を赤らめるのを見たのははじめてだな、とブースは思った。ブースはランディを家に帰らせ、コウキーといっしょにブロードウェイを散策した。 二人の前方で、二十歳くらいの酔っぱらった若者が三人たむろしていた。鋲びょう打うちのブーツに、これまた鋲飾りだらけのレザー・ジャケット、口と鼻には金属のピアスをし、モヒカン刈りにした髪をトサカのように立てている。三人はかわるがわる派手に暴れまくり、ゴミの缶を蹴けとばしては、卑ひ猥わいな言葉を吐き散らしていた。コウキーとの会話に夢中だったせいで、ブースはそばを通りすぎるまで、三人になんの注意も払っていなかった。そのとき、若者のひとりが猥わい褻せつな侮辱の言葉をつぶやいた。 このときも、ブースはちらっと若者を見ただけで、すぐにコウキーに視線を戻した。しかし、若者のほうはもめごとを起こしたくてたまらないらしく、なおも追いうちをかけてきた。「てめえ、いったいなに見てんだよ、ウジ虫オヤジ」 ブースは足を止めずに後ろをふりかえると、〝バカはやめとくんだな〟というように、ちょっとだけ顔をしかめてみせた。 しかし、モヒカン刈りの若者はブースのまえにぬっと立ちはだかり、さらにつめよった。「いったいなに見てんのか訊いてんだよ、ウジ虫オヤジ」 ブースは足を止め、青くさいパンクスを見つめた。若者の鼻からは、金属製のピアスがぶらさがっている。しかし、ぱっと見には、銀色の鼻汁がたれているようにしか思えない。「シド・ヴィシャスじゃないことだけは確かだな」とブースは言った。 パンクスは歩道にツバを吐き、片方のブーツで地面を馬みたいに蹴りつけた。仲間の二人が─どちらもガリガリにやせていて、妙にビクついている─そばへにじりよってきた。二人はなんとかタフガイを気取ろうとしていたが、ハロウィンの日に鏡のまえで人を脅かす練習をしている子供のようにしか見えなかった。 ブースはくりかえした。「おまえはシド・ヴィシャスじゃない。(中略)いいか、小僧。おれは一九七七年に、チェルシーにいたんだ。シドとナンシーといっしょにな。おれはシドのヘロインを水洗便所に流し、やつがおれの金を盗もうとしたときには、口もとを張り飛ばしてやった。あいつは小犬みたいにべそをかいてたよ。きさまなんかよりずっとタフなパンクスと渡りあったこともある。可かわい愛いドレスを着たバービー人形を見て、おまえのお袋が怖がるか?夜のニューヨークは、タマなしのガキがくるようなとこじゃない! いますぐ消えうせないと、目玉をえぐりだすぞ!」ブースはつぎに、仲間の二人のほうへ目をやった。「おまえらがこのヌケサクのほんとうの友だちなら、こいつが怪け我がをするまえに家へ連れて帰れ。さもなきゃ、こいつの喉のどを切り裂いてやる」 パンクスたちはこれみよがしに虚勢をはってその場から歩み去り、駐車してある車の脇わきを通りすがりに、サイドミラーを蹴り割った。やがて安全な距離まで離れると、三人はブースに向かって罵ば詈り雑ぞう言ごんを投げつけはじめた。 コウキーは思ったよりも動揺していなかったが、ブロードウェイをふたたび歩きだしたときには、ブースの腕を握っていた。「ところで」とブースは言った。「もしきみが疲れていないようだったら、いまからほかの曲も聴かせてもらいたいんだがな」「アパートメントにはルームメイトがいるの」コウキーは落ちついた声で答えた。「テープとラジカセだけ持って、どこかほかの場所に行けないかしら?」「だったら、用意するのはテープだけでいい。わたしのスイートに行けばステレオがあるからね」「A&R」上巻 ビル・フラナガン 矢口誠訳 (新潮文庫フー44−1)①②講評文課題文を自分好みの世界観に引き寄せるアレンジが効いています。キャラクターの表情が大変魅力的です。コマ割りもメリハリがあって良いのですが、人物のアップやバストアップがメインなので、どこかで引きの構図をしっかり入れ込めば、よりドラマに入り込めやすくなったでしょう。AO入試ガイド

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