朝の9時前から大学で自作に取りかかった。
かなり切羽詰まっている…
今回の作品はかなり手間取りそうなところが多く時間を要するのだが、毎日予定が詰まっていて、なかなかまとまった時間が取れない。
明らかに計画が拙かったが、後悔先に立たず。何とかするしかない!
さて、話が変わるが、最近気になることがある。
実は「GA」のことなのだ。
字面を見るのもキビシイので、あえて「GA」と書いているが、あの夜飛ぶチョウチョみたいなやつ、モスラの小さいやつのことだ。
過去のブログでも何度か触れたことがあるが(2014年6月12日、2012年9月15日、2012年8月11日)実は苦手なものが三つある。「雷」「GA」そして「カタツムリの殻の無いやつ」。この最後のやつも、字面やその音の響きを想像するだけでゾワッとする。
一度は深く反省した。このような生き物だって我々と同じように毎日を精一杯生き、子を育て、遙かな昔から種を存続させている地球の仲間なのだ。
目の前にいる「それ」が母であり父であるかもしれない。そして、彼らは意識していないだろうが、懸命に子孫を産み育てる姿はまさに「愛」に包まれているのだ。
頭では分かっている。分かっているのだが、その姿が目に入った瞬間、頭が真っ白になる。「こわいっ!」。そう、怖いのだ。
それらの生き物が天敵の捕食から逃れるため、蛇の目模様などの文様を纏っていることがあり、それはまさに天敵をビビらせ補色を諦めさせることが目的だと考えられる。
そう考えたとき、私の反応は動物として全く自然な反応であり、彼らの目的は達せられていると言える。その意味では、なにも「嫌ってゴメンね!」的な申し訳ない気持ちにならなくとも良いのではないかと思うのだが、それで気が楽になったにせよ、怖さが緩和されることはない。
思い返してみると、GAさんもNAMEさんも、トラウマになった切っ掛けが思い当たる。
GAさんの場合は、小学校のころ、近所のお地蔵さんの背後の茂みでカミキリムシを捕ろうとしていたとき、ふと見上げると目の前にコノハチョウがとまっていたのだ。一瞬葉っぱに見えたものが次の瞬間に蝶であることが分かったとき全身が硬直するほど驚いた。枯れ葉のような翅にに真っ赤な目が付いていたその姿は今でも鮮明に思い出される。
もちろん、コノハチョウはGAさんではないのだが、じっとしている褐色の身体が似通っているのか、その後、GAさんがダメな身体になってしまった。ちなみに、普通の蝶はなんともない。
また、NAMEさんも小学校のころの経験が思い当たる。それは、自宅に置いてあったシクラメンの鉢植えの葉っぱを何気なく裏返したとき、そこにいらっしゃったのだ。このときも声が出るほど驚いた。
1週間ほど前、よく通る学内の階段の窓の外側にGAさんとまっていたのが目に入った。視界の片隅にあってもびくっとするのは、きっとトラウマのせいで感覚が過敏になっているからだろう。アレルギー反応や蜂に刺されたときのアナフィラキシーショックのように、過剰に反応してしまうのかもしれない。
それが、数日後には1階下の窓に移動していた。心配なのは、それが普段通っているバルコニーに移動されると厄介だということだ。距離的にはかなり近い。
もし、ドアに張り付いていたら絶対に通れない。それに、急に視界に入ってこられると卒倒しそうな気がする。
願わくば、このまま秋が深まって、GAさんには居なくなってもらいたい。申し訳ないが、それを祈るのみだ。
制作している研究室の窓から外を見たところ。
蛍光灯の光はあまり好きではないので、よほど暗くなるまでは、自然光のみで作業を行う。
長い間楽しませてくれた百日紅(サルスベリ)もそろそろ花が終わってしまう。
銀杏(イチョウ)の実が少しだけ付いている。
銀杏(ギンナン)は大好きだけど、これじゃあまり採れないな〜
午後7時過ぎまで仕事をして、帰宅の途に就いた。
そうそう、今日は祭日だったんだ。大学に来て初めて気が付いた。