3月22日(水)晴れ

朝から学長室で執務。

午前10時からは学園本部と結んでテレビ会議。

午後からは名古屋中心部へ移動。所用を済ませ、大幅に遅刻して名古屋キャンパスの会議へ。着くと会議はすでに終わっていたが、この機会に色々と打合せを行った。

その後は再び名古屋中心部へ移動し、定例の会合へ。
日曜日に深酒したので、2日間は断酒をしていた。
今日はさすがに少し控えめ ・・・のつもりだったが、なかなかそうは行かず、そこそこ飲んでしまった。ま、いっか??

今ごろの季節になると、どこからともなく沈丁花の甘い香りが漂い、植物も芽吹きはじめ、水仙、木蓮、桜と次々と開花し、世間は春の空気に包まれてくる。しかし、私の心は沈む。

以前のブログ(2012年6月23日、2013年3月3日)でも触れたが、大学受験で何度も痛い目に遭っている中で、最終試験で落ちたときのことがトラウマとなっていると思う。

一次試験、二次試験と大変な倍率をクリアし、最後の三次試験で「サヨナラ」されるのは本当にキツい。その三次試験の発表が3月20日だったのだ。

「今回はいける!」という絶対の自信があり、自分の番号を見に行ったら ・・・無い。

浪人を重ねた身で、一緒に頑張ってきた友人たちの多くが合格、自分だけ奈落の底へ、という辛い思い出はなかなか拭い去れるものではない。

発表を見た後はおそらく茫然自失の状態だったと思う。あまり人通りの無い道を歩き、少し離れた駅から電車に乗り、知らない路線を何時間か乗り継いだのを覚えている。まっすぐ下宿に帰るのが恐かったのだ。

カレンダーを調べてみるとその日は日曜日で翌日の21日は春分の日で休日だった。確かに、電車の中では幼い子たちを連れた家族連れが多く、暖かい日差しを浴びて楽しそうに語らっていた。その風景が目に焼き付いている。あまりにも自分の置かれている状況とかけ離れた光景であり、自分だけが暗室から覗いているように思われた。

結局、その次の年に合格できたが、この年は夏頃までボーッと過ごしていた。
今から考えると他の選択肢もあったのだが、当時はそれが見えず、頑なになっていた。むしろ、早く大学に入り、早く留学すべきだったと思うが、それは当時は全く見えなかった。

歳を重ねる毎に痛みは和らいできたが、春先の美しい季節が苦手になってしまったことは悲しいことだと思う。