2009/3/5 木曜日

● 3月5日(木)晴れのち曇り、のち雨。

カテゴリー: 日記 — takakita @ 23:55:26

沖縄4日目、ホテル日航アリビラで迎える朝は、青空に火焔木(かえんぼく)の花が燃えている。

朝食は、ぬちぐすい定食。ぬちぐすいとは、命の薬という意味で、料理はすべて沖縄野菜を材料にしている。体が甦る気分。

朝食後、世界遺産の琉球遺跡群の一つ座喜味城跡(ざきみじょうせき)へ。15世紀に読谷村(よみたんそん)地方を治めた護佐丸(ごさまる)が築城した。風土と時代に馴染んだ石垣が美しい空間を形成している。

城跡の麓にある読谷村立民族資料館を覗く。読谷山花織(ゆんたんざはなうい)という伝統工芸の染織が素晴らしい。江戸時代では献上品として織られたもので、現在ではその伝統を伝えるために大変な努力がなされているとのこと。

ということで近くの読谷山花織会館へ行く。ここでは、研修生を迎え読谷山花織の伝統を継承しているとともに、織物を展示している。献上品は絹を、自分たちの着物としては木綿を織った。日本中の多くに見られる民衆の暮らしである。

会館を出てすぐそばのパーラーで昼食。パーラーといっても沖縄では、きちんとしたお店ではなく、車やトレーラーで主に食品を販売した移動店舗のことである。しかし、最近では簡単なプレハブの店舗をつくって営業するところが出現。とにかく手軽、安い。

この「ぱくぱくパーラー」は、この間まで庭であったところに日曜大工で作ったという感じ。まだ1ヶ月半しかたっていない。メニューも10種類ほど、ジュース、コーヒーが100円、ぜんざい(沖縄ではぜんざいと言えば金時豆入りのかき氷)が150円、わ~安い。カレーライス250円を注文。やさしい味で、ていねいに作られており家庭の味がした。

午後2時、やちむんの里へ。やちむんとは焼物のこと、読谷村はかつて沖縄の古窯として栄えたが、琉球時代に陶工が那覇へ集められたのをきっかけに廃れてしまった。1972年人間国宝の金城次郎氏の窯が招聘されたのをきっかけに復興、現在50余の窯がある。

その中で、読谷山焼窯元のギャラリー囍屋を訪れる。伝統を感じさせるどっしりとしたものとモダンで自由なものが並べられている。窯元の大嶺實清さんと長男、次男、三男の作品。

コーヒーをごちそうになっていると、やがて大嶺實清さんが登場、真っ白い髭をたっぷりたくわえたやさしい面立ちの、陶工がしみ付いているような方だった。しばらくお話をうかがうことができた。「あの大きな登り窯は、4人で持っているものだが、あれを作って伝統から解放された。伝統から解放されて自由に作りたかったが、長くできなかった。登り窯を作ったら、窯が自分を伝統につないでくれる、だから伝統から自由になれた。」ものづくりらしい心に響く話だった。

帰り道、路傍に真黄色の花が咲いている木を発見。ハイビスカスぐらいの大きさで、葉はまだ出ていないので、よけい黄色が強い色になっている。

ホテルに戻ってコンシュルジェやフロントで写真を見せると「黄色のハイビスカス?」「判らない」「結構よく見るけれど」「・・・」ハイビスカスなら葉っぱが落ちて花を咲かせることがない、また大きな雌しべもない。フロントが暇な時間でもあって、みんなで大騒ぎ、知らないでは済まされない。あちこち電話やインターネットで調べて辿り着いた。

「イッペー(別名オウゴンカズラ)」という。沖縄の方言で「たくさん」「とても」という意味、たくさん咲く、とても黄色いという連想かと思いきや原産国のブラジルでipeと呼ばれ、国の花だそうである。沖縄に持ち込まれたとき、そのままピッタリの名前として定着した。

ホテルのフロントから逆に「ありがとう、知らない花が判って」とお礼を言われた。

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