● 3月20日(土)晴れ。
気持ちのよい週末の朝。デザートに頂き物のでっかい苺。なんと6センチもある。記念撮影に10円玉と500円玉を置く、デザート別腹ではなく、満腹幸せ状態。
この苺は、青山いちご園のもので、化学肥料を使わず農薬使用も最小限に押さえる「健全ふたば農法」というもの。基本は堆肥、栄養のある土だそうだ。
10時30分、家を出る。歩道と駐車場のアスファルトの間に咲いた菫(すみれ)、色が菫色と桜色が重なった感じ、とても嬉しい風景に出会う。今日はいいことありそうだ。
11時、名古屋市中区伏見のギャラリー名芳洞、名芳洞blancで「加藤久勝展」を観る。100人の肖像画が会場を埋め尽くしている。1点1点揺るぎない力が込められて全体で一つの力となっている。肖像に囲まれていると曼荼羅の宇宙の中にいるようだ。
名古屋造形大学名誉教授の石黒鏘二名誉教授、加藤松雄名誉教授の顔も見える。
Blancの方では、「加藤久勝モノクロームの世界(木版・ぬき絵)と題して、アーティストやボートなどが技法から生み出される不思議感に出会うことができる。体験のない造形との出会いは、気持ちを無垢にしてくれる。
隣接の白土舎で「坂本夏子展」を観る。ギャラリー空間に取り込まれた瞬間から坂本夏子の世界に引きずり込まれる。表題作「BATH,R」は、お風呂の絵。風呂と鏡、心と身体を裸にする二つの装置がタイルという抽象文様に引きずられるように時空間を曖昧にしていく。「私」を見つめることを余儀なくする。
正午、東区泉のスペースプリズム個展会場へ。既にギャラリーのオープンを待ちかねているお客様が数名。そのままラストまでお客様が途切れない。緊張、興奮、幸福、充実、疲労、元気、感謝の一日。
個展木版画の中から文芸誌「駒来」のための表紙と表紙の言葉を2点紹介。
「あっ ふきのとう」
朝日に輝いて昨日の雪が一層白い。ふるさとの山道は冬枯れで、水墨画を見るように静かな景色を描いている。大地の命たちは、土深く息をひそめて春の訪れをうかがっている。近景に眼をやると、眠りこけた枯れ草の中に、点々と若草色の目醒めがある。「あっふきのとう」
瑞々しい形は、蕗の花の蕾。食用として親しまれている蕗の葉が出る前にふきのとうは芽吹く。蕾を幾重にも苞が取り巻いている。大切に大切に慈しむような姿である。
花の蕾を食するのは、早春ならではのこと。菜の花の蕾、土筆。ブロッコリーなど今では年中食卓に上るが、いつ食べても春の香りであるのは、花の蕾を食べているという意識によるものかも知れない。
早春の味は、ほろ苦い。苦みを取ろうとして、炒め過ぎたり、水に晒し過ぎたりすると、春そのものがどこかに消えてしまう。苦みを楽しむのは、多くの味と出会ってきた人生の歓びとしたい。
「菜の花畠に」
十年ほど前、房総半島の千倉に住む友人を訪ねた。ドライブ旅行ではあるものの、二月に入ったばかりで、まだまだ風は冷たい。ところが、房総半島に入ると、空気が変わる、風景が明るくなる。気温が五度ほど高いこともわかる。太平洋に臨む半島は、紀伊半島、渥美半島、伊豆半島いずれも暖流の影響で暖かい。椰子などの南方植物も流れ着く。
半島を北から南に向かう、ところどころに真黄色の菜の花畠が目に飛び込んでくる。その真黄色が、徐々に増えて一面を覆い尽くす景色となる。車を停めて、菜の花畠に遊ぶ。陽は大きく傾き、なだらかな西の山に近づいている。晴れ渡った青空は、白へとグラデーションをなして山の端に霞んで行く。真黄色に埋もれて「菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端、霞ふかし。」
日本の原風景は、日本の歌に映されて、初めて訪れたところにも既視感がある。小学校唱歌での耳の記憶は、私を小学生の頃に連れて行く。あの頃の早春は、真黄色な風景だった。







