ポートフォリオ
---keiso---exhibition

■他律の自律■

2007年制作/インスタレーション



意識の位置は未だ解明されていない。

地球の成り立ちも、地球自然界の営みも、人間社会も、体の構成も似たようなものだと思う。例えば、ヒトの体を作る細胞という小さな世界にも核、ゴルジ体、ミトコンドリアなど多種の存在が共存して成り立っている。モノを見ているものは眼なのか。脳なのか。”自身”なのか。......”自身”という意識の位置にたまたま居るとして、どこに意識はあるのか。幼い頃から「ここからここまでが私の陣地!」とか言いながら狭い世界を広めていく習性がある。

2007/12/18

■普通のこと■

2007年制作/インスタレーション





2007/12/18

■エクステンション■

2006年制作/ミクストメディア


作品全体の写真

もっとも身近な事すら知らない。

覗く行為―見る人は見られる人―



不審者を見つけたら周りは警戒心を持つ。周りの人と同じでありたいと思う習性がある。”普通”に思われるようにしたいし、常に他人の目線を気にしている。しかし見てはいけないものを見たいと思う習性もある。

<妊婦のお腹>―ヘソから見る―

 教科書や誰かに聞いたりして学んだ。

みんな2回生まれて二回死ぬ事はわかった。

胎児だった頃の約10ヶ月はその世界で明日が来なくなるかもしれないという不安なんて考えずに毎日毎日何となく暮らしてた。今、出産されて新しい世界に生まれたが”なんとなく”の暮らしをしてる。どこに生まれても、何回生まれても何気ない生活をしたい。ヒトは楽観的で強い動物だ。





映像は約15分のリピート再生。狭い和室の部屋で”大”の男が住んでいる。

<耳>―耳の穴から見る―

死ぬ最後まで機能する感覚器官である。

耳には様々な音が入ってくる。誰かの声や物音、自身の声。映像は6分30秒のリピート再生。朝支度をする男の姿が映る。男は鏡に映る自分を励まし、話しかけ、挨拶の練習をする。人に向けて発した声は自分自身にも向けられた声だ。





<頭>―つむじから見る―

 現在つむじには穴が開いていないが本来胎児だった時期には開いていた。出産時に産道を通り頭蓋骨の穴は狭り後、成長とともに骨で塞がっていく。それがツムジである。成長して頭蓋骨の穴が塞がっていくように、成長するにあたって隠したいと思うことが増えていく。

頭で考える世界は最も恥ずかしい場所かもしれない。

 映像にはトイレで用を足をたす人が見える。







<尻>―肛門から見る―







映像には入浴する女性がいる。20分の映像のうち5分間、湯船の縁に腰をかけ立体のお尻と同じアングルになる。

2007/10/30

楊  珪宋 -  Yo  Keiso -


2003年 名古屋造形芸術大学 入学

2007年 名古屋造形芸術大学 卒業

名古屋造形芸術大学 大学院 入学

現在在学中